昨日は、お世話になっている方の結婚式に出席させていただいてきました。非常に希望に満ち溢れた雰囲気と、これから二人で進んでいくという覚悟を見ていて、すごく素晴らしい一日であったなと思いました。何事にも日々出会いを大切にしていくことが、大切であると感じました。おめでとうございます。
「気概感」
先日、米国下院議会で金融安定化法案の否決が行われました。
米国の金融経済が不安定だけではなく、世界を混乱、もしくは見つめなおす機会を与えている状態です。
米国で金融安定化法案の否決の結果、より世界中で株が暴落しています。
合衆国政府と議会幹部が可決合意で一致しているにも関わらず、結果は・・・大量の造反が出ての否決でした。日本の国会、もしくは形は違えど地方議会では考えられない風景です。
私は、内容の問題は問題として考え、こういった個人の政治家としての判断が最優先される米国連邦議会のすごさを研究する必要があると感じます。
議員個人の責任の重さは、日本とは比較になりません。米国の市議会や州議会での同様の流れが起きるときがあります。市民もそれには理解と責任をもっているのが、違いのひとつでもあるかと思います。
先日も米国は新自由主義の転換期であると、言われている方がいましたが、私は議員がこういった気概をもって行っている国である以上、資本主義体制の新たな転換をむかえようとしても、その次の還流経済への対応を行い、生き残るのだろうと思いますし、そう流れていくと感じます。
この本質を見極め、行動を行えるかが大切であり、議員に課せられていることであり、市民もそれに理解を示すために、共に考え共に責任を負っているのだと思います。
我々も学ぶべきところはきちんと学んでいくべきであると思います。日本のスタイルを世界のスタイルにするのであれば、世界のスタイルを学んだ上での、日本のオリジナルを創出しなければ、理解は得られないと思います。
自由主義=自由放任主義ではありません。ここの違いは学識間でも分かれるところであると思いますが、自由には規制が必要であると思います。
ルソーにしても、ハイエクにしても、カントにしても、そういう認識で言われています。
今回の米国発の金融危機は、こうした研究や規制や枠組みが不十分だったのも、原因の一つにあるのではないかと、米国滞在時代の仲間も言われていました。
米国では、「自由こそ目指すべき社会のあり方である」という、スタイルは今後も持ち続けるであろうかと思いますが、足腰をきちんと据えている日本には、研究すべき点として、日本の金融対策にもなんらかの繁栄をさせていくことがいいのではないかと思います。
それには、政治家や学者、国民が共に、教養を身につけ、興味をもち責任をおい、それに裏付けられた大局観をもつことが大切であり、時には国家のために腹をくくれる気概を持つことが、求められてくるのではと、思います。
歴史観の中の国家観という視点からみてみて感じた今回でした。
若狭 清史