お盆があけました。
以前は涼しくなる傾向にありましたが、近年は以前暑かったり、豪雨になったり、涼しすぎたりと、自然の難しさが多々見受けられてきています。
今一度、一人一人が生活の中での自然を見つめなおしていく必要があると思います。それが近道かなと思います。

「ナショナル」

連日、オリンピックが行われ、平和の祭典として4年間の積み重ねを各選手がぶつけ合っています。私も時間が許す限り見たり、結果を見ていますが、放送されている部分ではわからない努力や駆け引き、そして威信が多々あるのだと思います。
選手の皆さんには、各国の代表としての重圧の中、必死にやられていることに、感動や勇気をもらい感謝をしたいと思います。そんな中で、色々な思いになります。

こういった一大イベントになりますと、日本はメディアも一斉に「日本」を盛り上げます。平和の祭典だからなのか、それとも国家の威信をかけているからなのかは、わかりませんが、メダルを取ることが「日本」のアピールだとすら感じます。

私は、こういう一時的なときのみ、「日本」を強調しても「ナショナリスト」とも「右翼」とも言われない状況が残念に思います。

日々の生活の中で、国家を持ち出すだけで、「ナショナリスト」だと身構え、あわよくば非難に入るという国は日本の他には見当たらないと思います。私自身も外国滞在を通しても絶対にないと言えるくらいであると思います。
実際、現在の世界は国単位で構成されています。当たり前のことです。それを何かとナショナルなものを嫌う傾向にある教育や、また国を避ける日本人は、偏りすぎているのかなと感じています。

世界の皆さんが仲良く、平和に過ごしていくことは当然のことであり、そうしていかなければなりません。

もちろん、どちらにも偏っている国もありますが、少数になると思います。
気概のある日本人こそ歓迎を世界はしてくれると感じます。
いま自分の依拠している場所こそ、胸を晴れるような国にしていかなくてもいけません。

こういう論は歴史と教育がかならずつきものになりますが、日本も反省すべきことはし、前に進むことは進むといった、新しいナショナリズムをもっていくことが求められてくると私は感じます。どちらにも偏ったナショナリズムでは、世界と向き合うことはなかなか遅くなると感じます。

よく、個人の自由を見失わせているのが国という方もいらっしゃいますが、敵対関係の政治を行うのではなく、きちんと向き合い議論し、反省すべきことはする。といったスタイルを通していく必要が今はあるのかなと感じます。

オリンピックをみていて非常にそう強く感じています。
世界各国の祭典でもあり、個人の発表の場でもあるオリンピック。最後まで盛り上がってほしいと思います。

                            若狭 清史