友人の一人にプロゴルファーの「塚田陽亮」君がいます。彼は長野市出身で、米国で武者修行し、現在ツアープロとして活躍しています。今を必死に生きる姿は尊敬します。ぜひ注目してあげてください。

「柔軟さ」

先般、都内で「次世代を本気で考えたとき」と題して、色々な想いがある方々が集まる機会があり、皆さんに少しお話をさせていただく機会がありました。

財政的に問題ない地域も、今にも破たんしそうな地域も、今後厳しいと予測される地域も、みなさんの必死の思いが伝わってきました。この熱のまま地元も一緒に動いていければいいのですが、どうしても対立軸ができてしまい、弊害が沢山出現し先に進みにくいのも伝わってきます。

長野市を見てもそうですよね。今後の財政指数は問題ないし、地域単位へ均一性を設けないと不満が大きくなるからやむおえない部分もあるという行政と、1000億を超える公共事業が構えており、かつ基金の減少と3000億を超える借金(一般会計では約1300億)、それに、かつ依存財源の多さという現実・・・。
どちらにも言い分がありますが、地域をよくしたい。ということでは共通の想い・・・だと信じたいですね。

上記にように、どの地域にも、住民、行政、NPO、ボランティア、企業、専門家が集まって、各問題に取り組んでいますが、なぜうまくいかないのでしょうか。

戦後、復興、技術の進歩も伴って、右肩上がりの時代がありました。
その時は、企業にしても、個人にしても、各地域単位にしても、「地域コミュニティ」「まちづくり」という分野には重きを置かずに、利益を追求し、ただひたすらに稼いだお金を納税し、地域づくりやまちづくりから撤退していました。自らの利益をひたすら追求し、稼いだお金を、国、基礎自治体に治め、自治をゆだねていました。

大まかにみればそれが現在の「行政」の在り方だと思います。
まちづくりや地域づくりは「行政」がやるべきことという構図になってしまったと思います。

その後、人口は増え(少子減少化となりながらも)、経済繁栄もあり、税収も上がり、福祉サービスも充実させ、社会インフラといわれる(道路や上下水道など)ものも、気付けば郊外にまでどんどん広げていきました。この裏に、地方議員の役割かのような、選出地域への利益誘導だけが仕事のような姿の定着化も多く見受けられます。

それが今はどうでしょうか?
日本社会全体が縮小化へと向かっている昨今、働いて税金を納める現役世代は、少子減少の波を受け、どんどん減り続け、あらゆる分野に影響を及ぼす試算が多岐に出ております。

同時に税金で支えられる引退世代が一気に増えてきます。
給付と負担のバランスはどう考えても崩れるしかありません。しかし、ここであきらめるわけにもいきませんから、何とか、新たに給付と負担を均衡にさせる点を見つけていかなければなりません。

国と地方の「根本的」な制度の見直し、関係の見直しと同時に、地方は身の丈にあった、または身の丈をどう設定するかの社会構造にしなくてはいけません。

私は、ほとんどの地域で必要になってくるのは、地域のビジョンの設定をしなければならなくなるのはもちろんですが、行財政改革による、役所の職員数と予算削減、依存財源の減少、外郭団体との関係の見直し、関係団体への補助金の見直し、福祉サービスの見直しも避けられなくなると想定しますし、そうしなければならない地域ばかりです。

インフラ整備に至っては、新規事業の着工をしても、既存のインフラの維持管理の試算がはっきり出せない中、露骨に着工はできないと思います。

ですから、行政だけに、「まちづくり」「福祉」を任せている時代からの脱却が必要だと思います。お任せ主義からの脱却です。

同時に、我々が「公共」という概念を変えなくてはいけません。
現在のように、公共のことをやる「行政」のことを住民、NPO、ボランティア、企業、専門家が「考えてあげてる」ということではなく、「公共」を住民、NPO、ボランティア、企業、専門家、そして行政とが一つのチームで役割を担い、連携を行い補完性の原則により、身の丈の位置を創造していくしかないと思います。
結果として、それが、各人の地域でのポジションの確保になり、自立することにもつながると思います。

実行するかしないかは、行政は首長の判断が大きな位置を占めますが、それこそ議員さんやNPO,専門家が、行政に「これは公共的なことだから民間でなく、行政主導だ。」などということを言わせないようにしていくべきです。同時に、我々民間も「これは行政にまかせよう」という思考をなくすべきです。
(こういう問題は大体、既得権益に関わる問題ですので、反対者もでることは想定しますが、覚悟ある人、民選で選ばなくては、我々もいけません。)

今の衰退している地方で厳しい点として、本来ある「行政」の役割を理解している人、また我々民間も民間的行政思考ができる人たちの社会的活躍の場が少ないのかなと思います。

私も様々な会議や調査研究で各地を回りますが、「保守と言い張る固守」の方々が多い地域では、偉い人たちは「立場、役職」で物事を議論しますが、「地域の繁栄維持の為に何がいま大事かを考える」人たちは「未来への損得」で議論します。

結局、立場、役職で議論する方々はメンツだけの勝負になりますので、未来は考えていません。しかし、後者は自分のことではなく、「未来への損得」ですので、プラスかマイナスかの判断が冷静にできますので、相手が誰であろうと垣根なく議論ができます。

個々の部分が相当大きな原因の現状が寂しいですが、現実です。

後者は相当な覚悟が必要になってきますが、私にはこういった方々がかなりいると信じています。私もよく「派手に動くなよ。」と釘を刺される時もありますが、ではいつ「派手」に動くのでしょうか。立場で話される方のメンツをつぶさないようにすることも学びましたが、このままではやはりよくないでしょう。

立身出世だけを考えるのであれば、従来の「立場、役職」に徹底した方が得策でしょうが、今後の未来を考えたときに、上記のような「チーム」がつくれる体系、また国との立場を変えなければ地方の問題は解決しませんし、解決しようとする能力が育ちません。

中には、行政の中にも上記のような方もいらっしゃいます。そういった方々を、「点」でなく「線」で見つけ繋げていくことが大事ですね。

そんなところに「答え」があるのかなと感じました。

そんなことを感じた集まりであり、柔軟性の必要性を感じました。

若狹 清史