9月に入りました。今年もあと4月をきりましたね。一度の人生です。一日を大切に進んでいきたいですね。
先日、超激辛カレーというものを食べました。(須坂市にある匠さんというお店です。ここ壱さんのカレーの辛さ10倍をこえるそうです)辛いものが大好きな私ですが、全身から汗が吹き出ました。これから寒くなってきます。辛いもので温まるのもお勧めです。ただ、次の日がなかなか苦戦ですよ(笑)

「K.Y.」

最近は、K.Yという言葉が学生を始め、日常社会でも使われていますね。
「K.Y.」=「空気が読めない」だそうです。この言葉を聴いたときには、もっと前向きな略にしてもいいのにと、思いました。
「K.Y.」=「空気が読める」の略でもいいのではないかと。そう読めるようになるには、今の「K.Y.」からの脱却ですよね。

しかし、日常生活もそうですが、政治経済をみていくうえで、空気さえ読めれば、どれほど、すばらしいものになるかと思いますよね。

昨今の報道による、閣僚問題への対応や外交問題への戦略の良し悪し、円高と株価暴落への措置など、空気が読めさえすればどれほど、いいかとキリがありませんね。

それにしても、どの問題もおきてから、「K.Y.」の対応だと叫ばれます。
いつも感じていますが、この大臣であればこういった政策で手腕を発揮するだろうと予測し、いざそうなり、政策面の問題点がでてくると、その政策はこう問題があったと解説に入る。また外交にしても、こうしていけば国益を確保できると予測しますが、国益を損ねると、なぜ損ねたかの視点にかわってしまう。
経済にしても、為替や株価のレートをその日の額で今後を予測します。しかし、翌日違った額であったら、そこからまた予測します。

政治評論家のジョージ・ウィル氏や、経済評論家のポール・サミュエルソン氏なども、以前、各自の予測相違の意見を求められ、「本来の予測は、政治学者や経済学者の仕事ではない。我々は現状を解説し、その後こうあればよいと、推測することである。予測は心理学者の仕事だ」というような趣旨を言われていたと思います。

メディアも、その折々の様々な話題性を重視し、悲観的な報道がうけるという観点もあり、予測した過去への面は、置いてきぼりになり、予測は予測で、現実への解説をして、今後を推測する。その間の件に関しては、各自の判断であり、切り替えを進めます。

曖昧といってしまえば、曖昧なのかもしれませんが、我々国民も各自、知識・認識をもたなくてはいけないかと思います。政策の知識ではなく、視野をひろめるという点になります。

結局、現代では、未来のことは誰にもわからないのです。(この先はわかりませんが)
必要なことは我々が、日頃の生活から得たものを活かしていくためにも、常日頃何があってもいいように、腹を据えて言い訳せずに、無の境地のように心底くくっていくことが、なにより大切になってくるのかなと、思った今回でした。

それが、肯定的な「K.Y.」になれるように感じます。
                           若狭 清史