10月に入り、今までの忙しさからは少し解放されそうな日々ですが、次のステップに向かい活動しなければいけないと思います。色々な視点から色々な声を聞くことを忘れずに、若い世代の活発化の為にも進みたいですね。
「裏側で」
3月の大震災後、原発反対やエネルギー政策への転換を迎えています。しかし、既得権益層からは原発推進だけを進める考えも多く見て取れます。
そこで、今回は、現地の方々の意見や現状をみて感じたことを綴りたいと思います。
核燃料サイクル(使用済み核燃料に再処理を施し、再び原発で使えるようにすること)を沢山作るために再処理工場を誘致した村があります。
そこは、誘致したおかげか原発マネーでとても潤っています。1人当たりの村民所得を見ていけば、年1,364万円(’08)これは、全国平均の5倍にも相当します。場所は人口も1万人を少し超えるくらいの、本州最北端の下北半島にある六ヶ所村です。
メディアでも聞いたこともある方もいるかもしれませんが、この地域はかつて、非常に貧しく「日本の満州」と言われるくらいであったと言われます。現に、畜産や漁業しか産業はなく、しかも冬は雪で覆われ、基幹産業などは皆無に等しかったと思います。その村が1985年前後から上記の核燃料の再処理工場を誘致して、大きな変革期を迎え、現在では原発なくしては語れないほどの、かつ裕福な村になっているのです。
私も色々調査していく中で足を運べば、そこはその規模の同等の他の自治体とは全くと言っていいほど違い、その裕福さが実感できるものです。
そもそも自治体力としてみていけば、経済指数として県民所得は上記に綴りましたが、この六ヶ所村は地方交付税の不交付団体なのです。これは全国では東京を含め75しかないうちの一つということになります。村の年間予算を例年みても約130億円前後と安定しています。そもそもこの130億円という予算は、同規模の自治体の平均が60億位だと考えれば、倍以上の額だということが分かります。
六ヶ所村の歳入をみても、予算の半分近い約60億円が原発に関する再処理工場や関連施設に関係しています。その中心的な歳入が、東京電力を筆頭に電力会社10社の出資で1992年に設立された日本原燃という企業の工場運営からでありました。
こういった大きな歳入があるので、道路一つとっても高速道路並み下道が整備され、役場もとても立派な4階建てやコンサートホールまでも立派な建物です。聞けば、25億円弱を投入して、村全戸にテレビ電話の設置もしてあるそうです。
事の始まりは、政府が使用済み核燃料に再処理を施し、再度、原発で使えるようにするための核燃料サイクルを、国策として目標を掲げ推進してきました。その為に必要なのが再処理工場ということです。しかし、どの地域も放射能漏れを恐れ、再処理工場の誘致は上手くいかず、手を上げようとすれば反対運動がとびかりました。六ヶ所村もその一つであったようですが、今ではその様な運動があったのはウソかのような、皆反対する方々はいませんでした。もちろん、村長や村議会議員さんでさえ工場に反対する人は一人もいないそうです。
反対する人がいないと言うより、出来ない事情もあるようです。この日本原燃や関連企業を入れると、村民在住の一家庭に一人は日本原燃関係の仕事に就いているということです。また、村議さんや区長さん達も建設業を営み、社員を抱えその代表として村議に出ているという状況もあるように、持ちつ持たれつの関係が完全にできあがっているとも見て取れます。
また会う人に声をかけ色々聞いても、「政府、東電、日本原燃さんのおかげ」と言う評価が圧倒的です。
今、報道ではエネルギー政策の転換期となってきています。その時の事を考えたときに、こういった原発関係に重きをおいて自治体運営をしてきている団体は、今後、どのような転換をしなければならないのか、考えなければならないと思うのですが・・・。現地の声は「そうなれば、断固反対運動をする」という声が多かったのですが、政府としての大きな決断もいずれ必要になってくるように思いました。
過去、どこも引き受けず、しかし引き受けなければ日本の繁栄に差がでるということを考え、国民として国家繁栄を願い、処理施設を誘致した経緯が村民の方には自負としてあるので、既得権益を守りたい、従来の安定した形を取りたいと願うのは人として仕方ないのかもしれませんが、エネルギー政策の転換の議論がどんどん進む裏で、こういった声とどう向き合うかが、今後重要視していかなければならない一つだと感じました。
若狹 清史