最近は一気に秋の模様を呈してきましたね。今年はこれから「蚊」が増えてくるそうです。みなさんお気を付けください。

「虐待」

先日、子どもの虐待が相次いでいるので、厳罰化や関係組織との情報共有の制度化などを目指しているある団体から、署名を依頼されました。私は、結果的には署名はしなかったのですが、それは、今回のこの活動事態は現状を周知するのにはいいかもしれませんが、どうして「厳罰化すれば虐待は減る」という安易な考えを共有させようとしているのか、疑問だったからしなかったのです。

また、その署名は全国で10万人を超えてさらに伸びているということです。
私は、その後色々と資料を調べてみました。厳罰化すれば、虐待が減るという理論が疑問に感じていたからです。実際に、調べていくと虐待を含む「乳幼児が殺される数」は、年々右肩下がりに減り続けていました。また人口比においても同じく右肩下がりになっています。

そもそも、虐待事態の犯罪の性質をどこに持っていくかで認識は変わると思いますが、もし利己的な親が、単純な嗜虐心で子供を虐待していたとしても、虐待死まではそうした親であっても避けるべき事態であると思います。それは、「死」に対しての良心の問題からなのか、死んでしまえば虐待ができなくなるから、という理由なのかは分かりませんが、性質の見極めだと思います。

今回は虐待を受けている子どもの目線ではなく、署名活動への私の考えになります。

ですから、もし厳罰化をしても虐待や虐待死は、今でもそれをしている親にとっては「私はばれない様に、うまくやれる」と都合よく考えてしまう方も多いと感じるため抑止効果はあまりないと考えられます。

私も実際に夜回りや児童施設の子どもたちと向き合いをさせてもらっていますが、厳罰化すれば無くなるという簡単な問題ではないと感じています。
今回の活動がどこまで影響を与えるかわかりませんが、1人でも虐待をされる子どもを減らしたいと考える気持ちは私も同感ですが、こうした考え方から虐待に対する社会からの管理監視が過剰になれば、これまで以上のストレスを該当者に与えかねないと危惧すらします。

専門家の方も言われていましたが、「そもそも、虐待報道の中に、子供を木箱に入れて窒息死させた事件があったが、これは親が子供の夜泣きに悩んだ末に、引き起こした事件である。この事件前から、虐待を問題視する人たちの「夜泣きがすごい場合は虐待を疑おう」という発言を連呼し、定説化した結果、夜泣きに悩む親を追いつめているとすれば、むしろ「子供を虐待から守ろう」という言説が、子供の夜泣きをなんとかしなければいけないという焦りを産み、それが子供の虐待死に繋がったとも言える。」というご意見を聞いて、深く同感をいたしました。

私は、重罰化すればその犯罪が減るという趣旨の犯罪性質を定説化するのは、あまりに世の中を安易に考えすぎではないかと思うのです。今回の活動する人、賛同署名をする人も、もう少し虐待の意味を考えてからでもいいと感じるのです。

虐待というのは、親子や地域の関係性に過ぎないと思います。
この問題は、正しい正しくないとは別次元な、ただ結果のみが存在します。
 
「殴る」という行為にしても、子供が成長したときに、殴られたことを感謝するかもしれないし、恨みとして深く引きずるかもしれません。私は「人間を育てる」ということは、1+○=2に空欄に「1」だけが当てはまるというような構図ではないと思うのです。

「人間関係の複雑さ」の視野で考えれば、「厳罰化すれば虐待は減る」という答えにはならないと思います。 昨今「人間関係が希薄化している」とよく指摘されますが、家や地域コミュニティなどの密接な繋がりが少なくなった事だけではなく、貧富があったり、地域間格差などがあるような、異なる立場の人達が一緒に生活する空間が少なくなり、人間関係の幅が狭くなってしまったことも、大事な「希薄化」の原因の一つだと私は思います。

私は、本当の思いやりや虐待をなくそうと考えた時に、今回の署名をされた方がどこまでの思いで、されたのわかりませんので、語弊があるかもしれませんが、安易な考えの方がいたとしたら、真の思いやりや、問題解決の根底まで見据えているとは思いえないと感じてしまいます。まさに、人間関係の希薄化の一例であると、感じてしまいます。

みなさんはいかがお考えでしょうか?
そんなことを考えた今回でした。

若狹 清史