今日で八月も終わりですね。今月は、愛犬が12歳10か月で亡くなった月でもあります。常に一緒にいた家族であったため、未だにその、空いた穴は埋められませんが、前を向いて進まなければと奮い立たせてもいます。
関わる全ての人、モノに「今」を感じ、必死に生きなければいけませんね。

「統治運営システム」

このブログで、行政、まちづくり、国民、総じて政治について色々経験し、感じることを綴ってきていますが、今回は、政治家、官僚、国家などの漠然とした現状など、感じていることを綴りたいと思います。

昨今は、「政策」は増税論議を現総理を軸に進められてきており、先般、自民、公明の同意の元、衆院を可決しました。しかし、三党合意で進められてきている施策であったはずなのに、「政争」面では、ここにきて、参院問責決議可決ときています。政策と政争が一色単にされてしまうため、どうにもこうにも、分析をしようとしない限り、感情的に選挙だけをみた政治に移行してしまいます。

そもそも、法律、政策というものは誰が実際創っているのでしょうか。
私が、色々関わる中で感じることですが、消費税などの増税施策等は、財務省のコントロール下に置かれ、進められてきていることはその通りだと感じます。
予算編成権をもつ官庁としての権力をもつことは、さることながら、あの組織は、自らが裏で様々な陰謀説を出しながら、政治家や文化人、識者をコントロールしているのかなとすら思えてきます。

昔から、大蔵、財務官僚は権力が集中するため、敵視される対象になっていますが、それは致し方ないとの見方もできます。予算編成は現政治システムの中では軸であり、その基礎から関われる財務官僚は、まさに政治家でもあるわけです。

これは他の省庁に移しても同じことが言えます。最終的に財務省との兼ね合いはあるにしても、各省庁の施策、予算の軸を基礎から関われるわけです。
いわば、現在、日本の法律の80%以上は内閣提出法案になっているわけですから、うがった見方をすれば、三権分立はどこふく風状態なのだと私は思う時があります。

欧米のような官僚の立場と違い、司法、立法、行政、全てを取り仕切るのが「官僚」なのです。公僕などという言葉は、建前でしかないのかもしれません。

最近では、こういった風潮を打破するべきだという論調で、政治を関西の方から変えると主張している地域政党もありますが、そうでなければ、大部分の政治家を中心に、官僚配下にいる文化人、識者はただのロビイストのような状態になっています。

また、実際、一部の政治家は「俺があれをやった。それを仕切った。」と言い張り、まさに官僚の「みこし」に乗って、官僚のレールに乗っかってしまっている方々も多くいます。
ただ、実際、「政治主導」を掲げても、官僚がみこしを担ぐのをやめたら、総崩れが起きてしまう現状もあります。

小さな政府、議員の定義、定数削減、官僚の定義の見直しなどをし、地方自治改革に進めていくにしても、現行での制度で同志を衆参で過半数とれるのかという疑問もでてきます。しかし、やるしかありません。この辺の仕組みも、戦後の仕組みが大きく携わっていますが、我々国民も真剣に考えていかなくてはなりません。

米国なんかは、官僚がきちんと政治色を全面にだしています。それも当然で、政権交代すれば、数千人単位で幹部が政治的に任用されます。私も滞在時、その仕組みには大変勉強になりました。
これは、西欧でもみられます。米国のように任用率は高くありませんが、政治的任用は当然のようになっています。ですから、官僚で施策、政治的両面の経験を積んで政治家になったりが違和感なく行えています。

しかし、日本は法の下に平等であり、三権分立であるため、それを司る官僚は「政治的中立」を謳っています。いい点でもあり、矛盾点でもあります。
と、言いますのも、政治統治システムと実際の官僚機構の柔軟性が明らかに失われており、矛盾しています。現在、国地方でも行われていると言われている、職権乱用して政治活動は問題外ですが、そもそも官僚の仕事は政治的中立ということはありえないというのが、常識だとも思います。であるならば、官僚機構の仕組み、政治統治システムの大転換をしなくてはいけないと思います。

私も知り合いの官僚の方々との会談でも、「やはり現行機構やシステムの限界は感じているが、どうしようもないほどの組織になっている。」と認識している方もいるぐらいです。
その都度、民選で入れ替わる大量の政治家、また、人数が多いので官僚の子分のように動く議員をその時その時だけ利用していたりというのがあるようで、官僚も政治家を信用していないために、こういった、情報社会で、また均一的教育を受けてきた世代が増える昨今、まともな政治家などが形成されにくいとも指摘していました。

まだ色々な現状はありますが、やはり、ロビイストでしかない政治家であれば、官僚が悪役になろうとも、行政を仕切るのは、現状致し方ないというのが見方ですが、今後も、依存体質を我々国民がもっていていいのでしょうか?
私は否です。

日本官僚の実務能力の高さは、世界が認めていることですが、外交交渉能力などは、政治能力がモノをいうわけですから、日本の評価は非常に低い現状。
世界が身近になってきている昨今、グローバル化、少子高齢化、国土密度の中でのさらなる繁栄施策の必要性など、国家を運営していく上で、ビジョンをどのようにしていくか。その為の、意思決定を行うシステムをきちんと構築していかなくてはなりません。

それを行える機関こそが国会です。
上記に述べてきた施策を行うにしても、政治任用の仕組みの検討を行い、内閣の権限を強める必要性があるはずです。

民主政治を行うためにも、同志を増やし、真剣に未来の「国」を考えた政治を行ってほしいし、我々もそう覚悟していかなくてはならないと思った今回です。

                          若狹 清史