暮れに来て様々なイベントに顔を出させていただきますが、一年の締めくくりとして活動報告などをみていて、継続が力となりそれが形となっていくのだなと日々痛感しています。このブログもそうかもしれませんが、勝手なことばかりを書いていますが、一つの形になってくればいいなと感じています。
「公正」
先日、作家の先生と会談を持たせていただいたのですが、話題は昨今のジャーナリズムへの偏りなどで、私も感じることが多々ありました。
中でも新聞の偏りが著しく、日本ではリテラシー教育の導入が遅れている中で、ジャーナリズムと本当に言えるのかどうかという問題指摘もありました。テレビ会社も新聞会社も一向に増えることの無い日本では、その媒体が自らの支援政党や支援政策等をきっちり前面に出したうえでの報道が望ましいと日々感じています。
例えば、私も感じることですが、保守系支援メディアが政治とカネの問題で陸山会献金報道をこぞって批判しています。
しかし、これは、他の議員や資金管理団体はやっていないのかと思うと、全くそうではなく、自民党各派も領軸の方々が所属議員に選挙資金を配分していたり、民主党各グループも関連候補者に資金提供をしています。しかし、小沢氏だけが悪になり、受け取った側まで批判の的になっている報道をみて、クエスチョンマークが消えません。
まして、今回小沢氏側は政治資金報告書で報告したことすら批判している媒体がありました。いうなれば、旧来の裏金方式でやるべきだと言わざるをえないような感覚です。社会常識からすれば、裏金方式でやっている方を追求するのがジャーナリズムだと思うのですが。
小沢氏側は土地購入をしたことも問題視されていましたが、他にも土地購入している大物議員もいますが、それは蚊帳の外。その他にもいろいろな同じ問題点があるのにもかかわらず、1人の議員のみの攻撃。
また、こういった論調で攻めている報道を、批判する報道もないというのが違和感を感じます。
私は、島国日本で内政報道ばかりが日々政治の中枢にいるように感じますが、外交がこれからのグローバル化の中で如何に重きを占めるかを考えていかなければならないと思います。グローバル化が進んでいく中で、内政メインかつ、内政批判ばかりでは、諸外国からみれば「日本は何をやっているんだ?こんな国とまともな政治はできるのか?」と本当に思われてしまいます。もうナメラレテきていると日々の情勢をみて感じますが。そんな時だからこそ、批判ではなく崇高なナショナリズムの形成に務めるべきだと思うのです。
第四の権力と言われているマスコミこそが、その役割を担う大事なモノだと思うのですが。
そんなことを感じた会談でした。
若狹 清史