口約束は危険であり、書面で誓約書なりが必要なのが大人の社会だと思いますが、子どもたちには「心の約束」を伝える教育が必要に思いますね。

「補助金」

事業仕分が日々評価をあげてきている昨今ですが、本来こういったものをなぜ今まで容認してきていたのか、今までの政府与党の責任はどうしたのかと感じてしまいます。

その中でも私も政策立案をさせていただく中で、助成金や補助金活用があります。国や各地方自治体でも確保してある「やる気ある」団体への補助になるものです。それを確保すべく政策をつくりますが、根本的に問題のあると思われるものも多々あります。お金の使い方で活性されるものも多々ありますが、根本的な無駄なモノもたくさんあります。
そんな一つを綴りたいと思います。

今、政府は「幼保一体化」について議論をしていますが、方向性が一向にまとまっていません。幼稚園と保育所(園)を一体化して「こども園」とする案も出ていましたが、白紙状態に戻ったり、こども園新設、幼稚園や保育所は存続案もでたり・・・。この施策は約15年も立案思考中だというのですから、この間の経費は無駄としか言いようがありません。

この部分で私もいくつか助成の相談を受けていましたので、調べているのですが、厚労省と文科省の縄張り争いで全く先に進まない状況になっています。子どもを「預かる」のか「育てる」のか、言葉遊びにも聞こえるこのフレーズでもめています。こういった似たようなことは、自治体にもみられ、保育は「家庭保育課」。小学校以降は「教育委員会」。であるから各連携はとれているようでとれておらず、責任もどこにあるのか不透明な現実もあります。

なにか、銀行と証券の縄張り争いのようなものが教育で行われていることが残念です。

幼児教育は人材の育成の基礎課程で重要な役割があり、また女性の雇用などで非常に大きな役割を担っています。文科省は大学や大学院には力を入れるが、むしろ費用対効果の高い幼児教育には「遊ばせておけばいい」と言わんばかりの施策しかありません。

また、保育教育に関しては未だ「社会主義」のようなシステムです。公費で90%以上が補助金という名の経費でまかなわれているため、待機児童の解消などができないでいます。また、市町村によっては「待機児童無」というところもありますが、今見てほしいという場合や緊急を要する時の児童受け入れは行っていないところが多数占めているので、本来の保育とは違う現状も見受けられます。保育教育は、この補助金システムで競争もなく、業界があぐらをかいている現実があるので、価格メカニズムがゆがみ超過需要が生まれ供給を制限しています。ですから待機児童の解消ができないのです。

ですから、保育所(園)はこの社会主義的システムを排除し、幼稚園と同じ市場原理で子どもを預かればいいのではないかと思います。そうなれば「こどもたちにゆとりは?」と言われそうですが、私は教育内容を変えるのではなく、「幼保一体化」しなくても、補助金漬けの保育所(園)と自主経営をしている幼稚園を一体化して、行政がこどもを割り当てる制度には、いささか無理があると感じるのです。

私は、未満児を教育すべきと言っているのではなく、保育教育、幼児教育を活かすために今ある「補助金」システムを排除することで、保育もバウチャーにしていければと思うのです。同時に国の所管も文科省に一元化し、幼稚園と同等にすればいいと思いますし、補助金も廃止(減額)することで、地域に本来必要とさせる保育所(園)や幼稚園の誕生に繋がり、待機児童などの「文言」がでてこなくなると思うのです。

子どもたちに未来ある社会を築いてもらうためにも、幼児・保育教育に力をいれる為にも、補助金で「ゆとり」と勘違いをしている教育ではなく、「向き合う」教育実現にむけて、保育バウチャーも必要になってくると感じています。

そうなれば、やる気ある団体に従来の「助成金、補助金」を公募して、活用されることで本当に意義あるものになると感じます。

すべての助成には意味があると信じたいですが、全てを見極めていく必要もあると感じています。そんな事を感じた今回でした。
                         若狹 清史