先日、白鳥をみました。普通に私の眼と鼻の先にきて普通に草を食べていました。人間慣れしている白鳥だなと思い、こちらがびっくりしました。なかなかじーっとみていたら親しみがわいてきました。ほんわかした瞬間でした。

「選択力」

若い世代や同世代との触れ合いを多くさせていただいている中で、色々見方によって期待のできる未来ある社会になるなと思う事が日々あります。

身近ではないですが、先日もドラフト会議で斎藤投手が日本ハムの交渉権を得ましたが、ライバルとされていた楽天の田中投手の人生の歩み方の違いを見ていて、身近な若い世代の人生の選択を見ていて重なるものがありました。

これからの世代は、従来の日本社会の中で生きていくのと違い、国際社会になりつつある日本の中で生き延びていくには、「自分で人生を選び勝ち抜いていく」ことが必要になります。そのお手本を彼らの世代であり、松坂世代が示しているのかなと感じます。

「みんながやるから俺もやる。」という若者。

「俺はこう感じるから遠回りでもやり続ける」という若者。

後者の方がこれからの社会で夢を実現しやすいと思います。とかく後者はそうならなかったら、周りの責任、行政の責任、と助けを求めがちですが、それすらも見切ってやれる覚悟や選択をとってやるという事です。

私は、若者達と話していて、「才能があればなんでもできる。ではなくて、才能があるほど選択肢は沢山ある。その選択肢を間違えないようにするには自らの決断と選択力だと思う。才能があればあるほど、また、あると見込まれると様々な人が寄ってたかって、これでもかという持論をアドバイスします。その中で、自分が本当に進みたい道を“意識”するのは簡単なことじゃないと思う。才能がないと自らを見極め生きるのも一つ、自らを見極めどんな道でも進むことを選ぶのもいいと思う。道がひとつしかなければ、むしろそのほうが道の選択は楽だと思う。」と伝えます。

今の、大学生は就職活動に悩みを持っていますが、「自力で人生を切り開こう」としている姿は、不況である現社会が一つのプラス材料になっている感じもします。

高校生にはいつも伝えるのですが、「自我を早く確立した方が、これからはプラスになる。国際社会と比べ日本は遅れている部分がそれであり、自我を確立しないと、従来の社会を超える、変えることはできない。」と思います。

以前は情報がないから、子供や若者たちは周囲の大人のいうことを「大人が言っている」から間違いない。と判断していたことが多々あります。しかし、周囲の大人の「質」まで判断する情報がなかったのも事実。ですからどんな大人であれ世の中がわかっている人と判断していたと思います。

(もちろん大人が大人らしく、教育者にも精通した存在であれば現在でもそれでいいと思いますが、そうではない状況は、社会状況、経済状況、政治状況をみていけば自ずと結果は見えてきます。)

しかし、今は若者達の間では、マスコミやネットも含め、今は子供にも世界の情報から地域情報までが直接的に大量に触れることができるようになりました。ですから小中高時代でも様々な情報を得た子どもたちが自らの人生の選択を増やせると同時に自らを見極め、自分で人生を判断できるようになったことは大きいことであり、覚悟あることだと思います。それが、彼らが良く言う「僕の周りの大人の人たちが言ってることって、正しいの?」となってきていると思います。

私は子供は子供らしく生きるべきだと思います。しかし、大人が大人らしく生きていればこそ、子供たちに言えることです。モラルもなくなって来ていて、何かあれば福祉や社会保障に目がいきがちな時代で若者や子供たちに何を示すことができるかは悩ましい問題です。

ですから、子供たちが大人になる時期が早まっても仕方なく、その子らが早期から自分で人生の判断をするのは、これからの社会構築の中ですごく大きな可能性をその子自身に開くことだと感じています。

大人の背中をみて育つこはとても大事だが、その大人を超えることは稀になってしまう現在より、みずから社会を学び人生を判断させることで、これからの日本の繁栄にまで繋がるのかなと感じています。

かくも世界はこの感覚が当たり前のように感じます。いつまでもいつの時代も「社会をよくしよう」の大人の社会では、「いつ変わるの?」「何をやっていたの?」と思う若者の感覚の正しさを、正しいとしない限り、海外流出をどんどん増やす結果が待っている気がします。

選択力向上を今後作り上げることが大事であり、少しずつだが出来上がってきているんだなと感じた今回でした。
                          若狹 清史