12月に入りましたね。猪年もあとわずか。一日一日の積み重ねの人生。
不撓不屈の精神で日々進んでいかなくてはいけないなと、感じています。
深夜、夕飯がてら牛丼を食べる機会が多いのですが、先日大盛りつゆだくと頼んだら、スープ級にもられてきました。牛茶づけでした(苦笑)
「リーダー」
私が米国に滞在しているときに、第二次世界大戦で米国に捕虜となった日本人のご子息の方と出会い色々お世話になりました。先日もお話しすることがありました。その方は、80歳近くなり日本語は片言で親が苦しんでいる姿をみて米国で育ってきた在米の方であります。
その方は米国国籍をもたれていますが、当時の苦しみを糧に日々いき、これからの日本の発展を、心から願っている方で、日本にいる日本人より日本人でした。「家紋を名刺にいれ、胸を張って生きてる」といつもおっしゃられていました。
その方から、日本社会にはリーダーがうまれにくい。と先日話したときに指摘されました。そこで、私もいろいろ考えてみました。
日本という国は、伝統的にリーダーを認めないコンセンサスな社会であると思います。
もちろん、戦後政治の枠を変えることはダメだと、考える守旧派の抵抗もありますが。
日本は、国家というもの、都道府県単位であり、会社であり、地域コミュニティであれ、何事も決めるには合議によって、意思決定していく伝統社会であります。
皆で考え、皆で責任を問う。皆の力は少しでも大きくなり、皆の責任は少しでもいい。ともいえるのかもしれません。
こういった社会は、世界情勢のスタイルからみていくと、欧米などのような少数精鋭の民から選ばれ集団をグイグイ引っ張るリーダーは歓迎されません。出る杭は打たれてしまう社会が日本です。
どんなに大切な改革であっても、それに伴う既得権益を失くす方々が出てきます。改革とはそういうものです。ですので、合議を主とする日本では、かならず改革には様々な圧力がかかり、結果骨抜きになってしまいます。リーダーが覚悟を決めていれば、そうならないかもしれませんが、コンセンサス社会では致し方ありません。
私は、コンセンサス社会が悪だとは思いません。
時代を見てきても、日本というのは離れ小島で縄文時代から安全で外敵からも守られ、海も山もあり、恵まれていたのです。こういった土地ではリーダーはいらないのかも知れません。大陸つなぎの国は、国家存亡にまでかかわることですか、そうはいきません。
こういった背景が、日本のコンセンサス社会の成立にいたっているのだと感じます。
聖徳太子が「和を以て貴しとなす」という精神が今に至っていると思います。
しかし、何事も根回し、談合が基準で進めていく社会は、これからより激動の流動型社会を迎える上で、外交を中心に不安が募りますし、運営もうまく回らなくなるのではないかと思います。
よく「国民の質以上の政治家はうまれない」といわれます。
選挙民が、地元への利益誘導や見返りを望むことは、その程度の政治家しか生まれません。
一時的な雇用や地元への公共投資はできるかもしれませんが、短期的な損得を選んできた結果、今苦しんでいる国になってきているのです。
やはり、これからは、国民一人ひとりが、今後を考え自立していくことが、より「質」が上がっていきますし、リーダーの存在というものを受け入れられる体制になってくるのではないかと、感じます。リーダーなき国家に未来はないと、思います。
そうしていく上で、国を知り、己を知り、世界を知る。というスタンスをとり、今から進んでいく必要があるのではないでしょうか。
そう、私は伝えました。
その方のように、同じ苦しみを持っている在米日本人の方は大勢います。一つのコミュニティとして、今は存在しています。
そういった方々の想いを忘れずに、私も生きていかなくてはと、決意しています。
若狭 清史