10円玉を拾いました。交番の前で。駐在所に届けましたら、記載する書類がたくさんあり、すんなりといかないのが落し物。こういった処理がスムーズに行くような改善策を考えていかなくてはならないと思いました。
「本質」
最近、中高生や若者と向き合う機会があります。
そこで、色々なことを感じます。
まじめな学生もいれば、ぐれてる学生との交流もあります。
そんな彼らとの対話の中で、反応をし気持ちをぶつけてくれる学生と、無反応な学生もいます。
先日、上記の後者の学生たちと腹を割って話す機会がありました。そこで、彼らは「大人は何でもルールを守れという。でも大人ほど守らない。そして金ばかりをおいかける。だから信じない」といわれたのが、グッときました。
もちろん、甘ったれていることでもありますが、その事実に否定はできませんでした。
ルールは守るべきものだとは思いますが、「理不尽なルール」が沢山存在していることは多々あります。もちろんルールにも色々な質と段階があることは理解します。私は彼らにそういうルールを市民的な合意の下で時代、社会環境にあって見直していくことが必要であると訴えました。そういう思いで生きれば変わるし、変えていこうとぶつけました。
こういった若者の声は夜回り活動をしていても感じます。
先日はビジネスに長けている方々から連絡があり、共に活動したいといわれました。しかし、内容を聞いていると、夜回りやごみ拾い、若者と向き合いをビジネスとして考えようということでした。生きるために最低限の費用ではなくビジネスとしてです。
確かに、奇抜な発想でしたが、感覚が違います。
若者は、ますます不振になります。
向き合うことをビジネスにしようとすること自体、私の感覚とは違いました。
生きるためではなく、ビジネスで何を向き合い、感覚を伝えることができるのか、難しすぎる難問でした。
それにも付随し、近年、福祉をよくしようと訴えることをよく耳にしますが、「福祉」の精神で取り組もうと考えている人と、ビジネス福祉をしていこうという人とに、別れてきていると感じます。
これは建設業界の流れと似ていると思います。人々に気持ちよく住んでもらいたいという想いで建築するのか、ビジネスだけで建築するのか。
私は、こういった感覚を続けていくと麻痺してくると感じます。
今一度、「本質」を見極めていく大人が求められてくると思います。
それが、若者たちへの姿となるはずです。
社会の質を高めるためにも、大人の本質を見極め、正したり変えていったりしていくことが大切に感じます。
こういった議論の場合、資本主義社会だからとか、金がなきゃ生きられないという議論になりがちですが、本質をきちんと向き合い理解した上でのスタイル構築が必要に感じます。
そして、非難ばかりをするのではなく、社会を考える気持ちをもつ姿勢が大切と思います。
そんなことを感じた今回でした。
若狭 清史