先日、友人の車のエンジンルームの中でねずみが暮らしていたことが、オイル交換時にわかり、びっくりしたそうです。
寒さのあまり、苦肉の策だったのでしょうか。みなさんのお車もチェックしてみてはいかがでしょうか。

「こどもたちと社会」

先日、学生との交流があり、そこで「危険」の部分という話題で「薬物乱用」ということが議題にあがりました。以前、私は都市部の保健所主催の「薬物乱用防止講演」を公聴したことを思い出しました。
都市部では、未成年者も、気軽に気安く躊躇なく手を伸ばせる状況下にあるという、現場の話をきき、びっくりしたことです。

その話とリンクする出来事が長野でも起こっている可能性が高いというから、びっくりいたしました。情報社会で全国にある無数の情報と不特定人物との流通で、想像以上に身近に感じているということが、伝わってきました。 

今の青年達がいかに、曖昧な社会環境に置かれているのかという、厳しさを一段と感じました。こういった情報を信じ込ませたり、操作している大人がいることにも、ビジネス拝金社会の弊害がでています。
しかし、その社会をその理由で戻すわけにはいかないわけですから、何が正しく、自分自身をどう導けるかの見極める能力、自分の眼でしっかりと情報を受けとめ、判断できる力を養う「メディアリテラシー教育」の必要性を改めて強く思います。

これは、薬物の問題に限らず言えることだと思いますが、大人にも言えることであります。
私自身、夜回りや様々な青年、子供達と対話させてもらっていて感じることですが、保護者との関係、教員との関係、地域との関係にも連鎖していることにも思います。

「個人一人一人が心の強さ」を持っていればいい問題だということを言われる大人の方が非常に多いということも、あるみたいですが、「なぜ、薬物はいけないのか。」ということを伝える環境をつくることから、始まるのではと私は思うのです。子どもときちんと向き合うことが、大切ではないかと。

ただ、「法律だから」とか「決められているから」「犯罪だから」という分かりきっている理由だけではなく、理解してもらえる教育ができるかどうかであり、それは内容ではなく、親と子、教員と子、地域と子が対話をしているかということだけで、解決できる問題でもあると思うのです。その伝え方ひとつで、この薬物問題にも善処してけるということではないでしょうか。

諸外国では薬物は当り前のように手に入る状況も多々あり、見てきていますが、こういった社会を机上で否定するのではなく、政治も対話や現場を通して、こどもたちと社会のあり方を考えていく必要があると感じた今回でした。
                            若狭 清史