この一カ月4回の挙式に出席と予定をしております。色々な式の形式があり、感動もします。その中でやはり親御さんの子どもへの想いというものは変わらず、深い愛情でみなさん包まれていると感じました。色々学べる結婚式で私も刺激をうけました。
「権利条例」
先日、夜回りをしていてタバコをふかしたり、一般の人たちに絡んだりしていた若者たちが「俺らの権利だから文句いわないで」「こども権利だ」とか「権利」という言葉を連発していることが気になり、私は現場の教員の方や、大学の先生方に現場の声を聞かせていただきました。
色々なご意見はあったにしろ、私も自ら若者と接している中で、感覚のずれを覚えます。今、親にしても学校の教員にしても、子供に意見が言えない現状があるといいます。
都心ではもとより全国的に「子どもの権利条例」が制定されているからであります。
何をするにしても、「権利」という言葉ですり替えられます。
「遊ぶ」のももちろん権利ですし、ゲームするのも、深夜徘徊するのも、就職しないのも「権利」だと言い張ります。
学生が茶髪にしているのもすべて注意しにくい環境にあります。
長野市や県では「青少年保護育成条例」なるものも存在しています。
「子どもの権利条例」とよばれる条例が、地方議会で次々と制定されています。川崎市などは先端をいっています。私はこういった「個性」という言葉で片付けてしまう権利や、あるがままでいられる権利、子供も一人の人間であるから人権、秘密が侵されないという権利という名目で次々と条例化されていけば、本来ある「心」を育てる教育はできないと思います。真正面からむかって若者とぶつかりあえない条例であるならば、日本の教育の過程で無駄になると確信します。
今回、声を伺った東京都のある先生は、子供に「テストよくできたね」や「もっと勉強しないとだめだぞ。もう少し頑張れ」と声を掛けたら、「成績の低い子供の権利侵害になるから」という理由と保護者からのクレームで「権利侵害」として子どもの「救済機関」に問題視され、謝罪・研修させられたという声を聞きました。
正直、それがまともな教育だと思っている親御さん教育機関に幻滅しています。
様々なご意見や視点、現状はあるにしろ、このスタイルを推奨していくことが、日本の教育の発展に繋がるのか考えなければいけません。家族や学校、日本が壊れていきます。
個々の親御さんと話すと、同情していただけることですが、いざ自らの子どもの話、問題になると非常にトーンダウンしてしまう問題でもあります。今後の教育が地域、しいては国を形成する土台になるという認識を我々市民一人ひとり、胸に考えながら生活していかなければならない問題だと感じました。地方が条例で制定する必要性をもう一度調査する問題と思います。
正しいことを正しいといえる生き方を推奨するためにも、若者と今後も向き合っていきたいと思います。
若狭 清史