何かの組織に属さなくても、自らの信念で活動はできる。と米国時代の上司に教わりました。ボランティア活動もそうでしょうし、日ごろの起きていることもそうかもしれません。ここで「活動」を「生活」と勘違いしてしまうといけませんが、強い志をもって進むには、いい言葉だと思っています。

「逆説」

連日、震災や原発に関する報道が世間をにぎわせています。また、総理の言動、政府の一つ一つの決定、どれをとっても批判的に報道している姿をみて、改めてメディアリテラシー教育の導入の必要性を感じています。

そもそも、首相公選制を取っていない政党政治の日本で、今回は地方票で勝ち上がった管直人さんを総理大臣に任命したのは国民の我々といっても過言ではありません。
小沢一郎さんとの代表選で、国会議員票はほぼ互角、地方議会議員票や、党員サポーター票等は圧倒的に管直人氏。故に管さんが総理に選ばれたわけですし、そもそも、与党第一党を民主党にしたのはなにより、国民自身です。それを連日批判ばかりでは、私は我々国民自らも責任があるということを問いたくなります。

よく「裏切られた。期待違い」という言葉で終わらせていますが、選挙は「国民の質以上の政治家は生まれない」原則です。であるならば、批判ばかりをしていることは間違いです。仮にも、日本という一国の総理です。諸外国は日本国内の動向を常に気にしている中で、「日本は自らのリーダーを、総理や政府をなんだと思っているんだ」と捉えています。

もし、真のリーダーがいないというならば、「首相公選制や、一般国民から、議員でなくても総理に立候補できる制度を早急に確立すればいいだけの話です。」
どうも、政局を政治と捉え、混乱を招くだけのスタイルに見えて仕方がありません。

こんな毎日ですから、総理は国家運営をしていくためにはその批判を利用して原発停止を戦略で行ったのかなと思っています。
私は、フラットに管総理という政治家を分析したときに、今回の浜岡原発停止は彼の今後の影響力の維持を確保したように思いました。といいますのも、管さんほどポピュリズムを崇高し、社会活動を重視しているが、人気があまりない政治家はいないと思います。だからこそ、今回の停止要請は功を奏したと思います。

今回の停止要請は管さんの政治人生に、利にかなっており、中電や経済界、自民党や経産省、与党内の反管勢力の専門家や族議員が抵抗すればするほど、管直人という政治家は原点に戻れ、社会運動家としての本領発揮となると思います。
管総理は日頃の政争から、何かタイミングをつかんだかのように思えたのが今回の停止要請だったように思います。

アナーキズムというか、閉そく感漂う社会の風に乗っかり、さらにその風を大きくふかせ、既存権力や旧体質勢力と戦い勝ち抜くというスタイルです。

だいたい、総理、政府を批判の渦でいっぱいにした、メディアや野党、経団連等などの方たちも、本当に日本国のことを考えていたとしても、批判や不安だらけにした中で、原発反対というポピュリズムが誕生したのですから、管総理をおぜん立てしたようにしか見えませんし、何も言えませんし、その流れを上手く察知した方が、管総理だったのかなと思います。

私は、この流れにもってきたのは、他ならぬ批判の渦だと思います。国家を一つに捉えず、民主主義の原点にかえる政治を行わない結果に見えます。

今後、停止要請は浜岡だけで終わると推測できます。他も停止要請をだせば、間違いなくその部分をさらに批判を重ねてくるという流れは見えてきますから、総理は浜岡だけにすると推測できます。

上記のように私なりに、管総理の政治人生を分析した中での今回の流れは、手法であり、その手法を可能にしたのが、批判集団の方々であるということです。

真剣に国家運営を議論し、諸外国にも引けを取ることの無い、挙国一致を見いだせていれば、政局の流れなどは大きく変わるはずなのにと思いますが、妬み嫉妬の世界をやめない限り、前進するスピードが遅く感じてしまいます。

日本が今後グローバル社会の中でリーダーを目指すならば、やはり、リテラシー能力の養力教育の必要性を感じます。
そんなことを考えた今回でした。

                           若狹 清史