八月に入りました。長野県では知事選挙が週末には決定します。田中県政は田中県政、村井県政は村井県政であり、県民が選出してきた県政です。昔の県政がいけないとか、県政継承だとかを訴えるのではなく、各候補のカラー(政策)をみて、選出していくことが大事に思います。
「離れ」
最近、色々な情報媒体の記事を読んだりしていると、「若者の~離れ」とか「女性の~離れ」とか、「子どもの~離れ」とか、「~離れ」というフレーズをよく目にします。
テレビ離れ、クルマ離れ、酒離れ、読書離れ、新聞離れ、文化離れ、地域離れ、選挙離れ、政治離れ、結婚離れなど上記を当てはめて、次から次へと記事になっています。
何か、今の不況や少子化などの責任が上記該当者にあるかのようなニュアンスをする記事もあり、何か釈然としない気分すら味わいます。
社会問題に連結するような責任をもってくることで、読者の世代層の確保を試みているのか、、、結婚や性に関することを「~離れ」にすることで、社会問題の「少子化、人口減」に直結する文体であったり、乗り物や飲食の「~離れ」を問題にすれば、「不景気の元凶、消費低迷」などと謳い、教育関係では「日本人の質の低下、労働の質の低下」など、言われ放題にも見えます。
社会福祉の問題を議論している時と状況がにていると思うのですが、「福祉をよくしなきゃいけない、高齢者がどうなってもいいのか?」と高齢者がいい、その高齢者の方々のバリバリの働き盛りの若い時代は、高齢者に対して、なぜ対応をしてこなかったのか?などとダブるときがあるのです。「~離れ」とは言いますが、そもそも上記該当者は、その「~離れ」の「~」に近づいたことがある人が少ないと思うのです。
ですから、離れようがないと思います。ですが、記事や社会の風潮は若者ならとか、子どもならとか、「あって当然」の前提で話が進んでいます。
私は、上記の問題に関しては大体、経験しているのであまり該当しないのですが、私の世代でも該当者はかなりいると思います。
ですから、記事を書いている人たちが、購読者の狙いを定めて書いているだけならいいのですが、社会問題と直結していくことが、社会構成までに影響を与えてしまう事を認識しなければならないと思います。
例えば、車にしても、若者が車を当たり前に乗るようになったのは、そんなに昔でもないですし、読書率でも20代の方が読んでいるというデータもあるくらいです。
上記をみてきても、日本のマスメディアの体質を改善していかないと偏った社会層をつくりあげていくと思います。マスメディは第四の権力者という認識を持たないと、現在のように、新聞やテレビ報道や週刊誌などは主な消費者は、中高年だという事でターゲットを絞り、報じ過ぎています。
現在、30代以下の世代の主な情報ソースは、言わずと知れたパソコンや携帯などのネットになってしまっています。この良し悪しはまたとしますが、当然、テレビ報道や新聞媒体、週刊誌などは、お金を落としてくれる世代層に合わせた、視点で切り取った情報を提供するようになるのは、目に見えています。
また、時代背景もあると思います。戦後の経済不況を乗り越え、高度経済成長やバブル時代を生き抜いてこられた方々にとっては、現在の日本の経済指数には疑問視もあると思います。
昨日よりも今日、今日よりも明日を信じ、また成功してきた世代層は今の生活レベルに疑問を生じるのは理解できますが、苦境を打破する画期的なアイディアを思いつくのかという現状をみると、難しいという事はご理解いただけると思います。
しかし、いや、だからこそ、いつものように犯人探しが始まります。その犯人はマスメディアを消費している層が離れないように、そして傷つかないように巧妙に選定されていきます。
政治が悪い、政治家が悪い、官僚が悪い、ネットが悪い、切れる10代が悪い、教育環境が悪い、そして若者が悪いと・・・。
仮定ではいけませんが、もし、マスメディアの消費者層が若者だったら、逆の現象がおこると思います。実際に、インターネット上には、逆転現象が起きています。
犯人を探して、選定されなければそれでOKという感覚を世代間で作ることが日本のためなのか、マスメディア媒体も、消費者も考えなければいけません。
自らだけを安堵化して、犯人に責任を押し付ける余裕があるうちはいいですが、それを続けて日本の将来はどうなるのかを考えたときに、緊迫感が私にはあります。
メディアリテラシー教育の導入と、ジャーナリズムの意義を権力としてとらえ、教育していく必要性を感じます。繰り返しの時代は今後のグローバル化には反しています。
そんなことを考えた今回でした。
若狹 清史