先週、野沢温泉にある自分の事務所連絡所でもあり、昔から家族ぐるみのお付き合いをしている民宿(小松屋)に、後援会役員で訪れました。今の現状の声を聞きながらも温泉に入り、身体も癒すことができ、鋭気を養いました。
温かい方たちとの出会いが嬉しく、また頑張ろうと思いました。
「内内」
与党代表選挙の候補者が出そろい、連日あいさつ回りなどをしながら、政策を訴えています。今回の、日本のリーダー選出への問題点について感じることを綴りたいと思います。
各候補者ともに、「日本の危機」を口にされています。これは、今だけに限らず自民党政権時からも、皆同じことを言っています。しかし、なぜできないのか?それとも代表選挙中になにか、政策を実行できなくなる何かがあるのか?です。
私は、日本の総理になるべく人であるならば、自らの政治生命をかけて、現在の政治統治システムの課題に取り組んでほしいと望みます。
そもそも、新しい総理になっても、また批判だらけで、総理を変えようとする。政権交代が出来ても、野党がまた吠える。メディアも政府もスピンコントロールができない日本では、国民もまた批判をするような流れになります。
こうまで、日本の総理が交代ばかりするとなると、個人の資質の問題だけではないと思うのです。いつの時代も、総理になるために様々な派閥の方々に支援要請をしています。その中には政党や政策なんかは全く関係ない動きがあるようです。
それは政治家通しの駆け引きです。支援と引き換えに色々な約束が候補に出され、それを飲まざるを得なくなるのです。こんなやり方は、リーダー選出時にリーダーシップを奪うやり方をしていると言ってもいいと思います。
やはり、政治家によるリーダー選出システムには限界があると思うのです。この部分の「本質」の改善に声を上げない限り、どの政党が政権をとっても同じことだと思います。
まず「政治家だけにトップを選ばせる」システムの弊害として、①選挙後のポジション確保②自らの政策や利権の条件を飲むか③自らの選挙時に支援やカネをだすかなどがまず、駆け引きとしてあげられると思います。
国民は、真のリーダーを求めている裏で、政治家たちはこのようなことを昔から繰り返しています。また候補者も自らの理念をあきらめ、条件をのむと同時に支援確保にはいるわけです。
こんなことをしている間に、リーダーシップはいつの間にか消え、亀裂を生み、総理になったとたんにたたき合いになるわけです。
永田町で働いている友人に聞いても、「昔から永田町の嫉妬は並大抵ではない」と言うくらい、嫉妬が強くつぶし合いが激しいと言います。政治家には野望があるのです。「総理になりたい。」という。それは大事なことだと思います。政治家としてやりたい政策実行の為には権力を手に入れないといけないわけですから、頂点を目指すのも意味はわかります。しかし、この嫉妬は時としてまがった方向にいくことが多いといいます。
それは、「あの候補や次期候補政治家は若いし、見栄えがいいし、能力もあるから今のうちにつぶさないと自分が引き立たない。」と真剣に根回しをし摘もうとしている政治家が多いようです。そして、政治家たちは能力の乏しい人をリーダーにしたがるとも言っていました。なぜならば「能力に乏しい人を出しておけば、すぐに批判が出て、次は自分の番になるかもしれないから」だそうです。
だからなのか、次から次へと平気で総理を変えても、政治家たちは、制度の改善にはまったくもって議論しません。
このように政治家にトップを選ばせている限り、ぶれない有能な人材が、リーダーシップを発揮できるようになるシステム構築は無理に近いと思います。
また、参議院のポジションの見直しも提唱したいと思います。もともと良識の府としての参議院です。意味合いが代わってきているならば、あり方を変えるべきであるし、そうでないなら、良識の府としての、提言集団に戻るべきです。参議院は政党に属さないなどの基本的中立立場の議員に戻るべきです。
今のままの日本の二大政党でいくと、衆参両方で与党にならない限りねじりは解消されることはないわけで、そうなると連立を組んだ方がいいとなります。思想や政策が違う中で、連立を組んでもまとまるはずもありません。こんなことを繰り返しているならば、システムを変えるべきです。
このように、私は日本の首相のリーダーシップのなさは個人の資質にも問題はあるが、それ以上にシステムの問題が大きいと思います。大連立だとか増税だとかいう前にこの統治制度を見直さないと同じ事を繰り返すだけだと思います。
首相公選制を本格的に国民的議論に発展させることで、本当に統治システムの本質に切り込む準備ができると思います。
そんな候補者が現れることを期待しながら、昨今の問題を注視していきたいと思った今回でした。
若狹 清史