毎日暑い日が続きますね。先日若者たちとゴミ拾いをしていて、空き缶のポイ捨ての多さに驚きました。のどが渇くのは分かりますが、後片付けすることくらい当然の意識としてもってほしいものです。ポイ捨てしている方は年齢に関わらずの調査がでました。マナーも守れない大人が自らの子どもの教育などできるわけもありません。きちっとしたいですね。人として。

「終焉」

市、県、国の会合や研究会、審議会などに出させていただき、色々考えることがあります。それは、各分野の専門家が主導権を握り、利益誘導のような会議が多々あるということです。

本来であれば、国を憂い、どういった道筋を建てていくのかという部分だと思うのですが、あまりそうは見受けられません。また議員さんたちは、個人としてはすばらしいのですが、団体になると自らの党や会派と行政、経済界のバランスというか顔を建てることばかりを考え、痛みを伴う改革を行う覚悟はあまり見受けられません。

そんな中でも、日本の経済三団体(経団連、日本経済団体連合会、日本商工会議所)の存在のあり方を見つめなおす時がきていると思うのです。政治は政権交代を実現し、経済も過去の役割から新しい役割に変わる時になってきていると思うのです。

何故そう思うかなのですが、一つ一つの政策を見ても、経済界は依然「保守」過ぎていると言う事です。グローバル化が進む中、日本の経済界は依然「過去の実績」を鼓舞しているかのように思えるからです。

日本の会計制度しかり、電力政策しかり、国際基準にあわせていくべきたと私は思いますし、またリーダーシップを図るべきだと思うのですが、経団連は全く逆方向を向いています。経団連の意見は、「日本経済や日本生活向上のための政策集団だから、利益団体ではない。」と発言されていますが、違和感を覚えます。

そもそも経団連会長は経済界の総理と言われるほど権力を持っています。
その経団連に入会するのもまた容易ではありません。一部上場企業であっても社会的に一定の認知度をもっていないとダメだということです。

これほど格式ある経団連ですが、経済界の主要問題について政治への働きかけを行うというコンセプトで成り立っていると言う事です。要は経済界の圧力団体です。
しかし、具体的施策をみていけば、法人税減免、優遇税制縮小、など意見がわかれることは多々内部でもあります。

一般的に税優遇措置は既存産業が圧倒的有利ですが、法人税の引き下げは新興企業に有利に働きます。米国も優遇税制施策を実行し、IT産業界が爆発的な躍進をとげ、世界にネット社会を築かさせました。

しかし、日本では・・・。IT業界などはライブドアを筆頭に経団連入会を拒否されました。復興時代の経団連ではあれば「日本国発展、経済界躍進」のために新たな企業は入会させていたと思いますし、自由化をしていたからこそ今の経団連があると思いますが、今のように既存産業界に気を使ってばかりいると今後の日本全体への利益が下がることは必須です。

以前の経団連は、自民党に莫大な献金はしていましたが、政府の援助ばかりを求める圧力団体という組織ではありませんでした。自らの日本を憂う組織が自らの手で「国の経済をまわす」というやる気があったことは資料から見て取れます。

日本経済が成熟期になって以降、巨大化し国際化する日本企業にとって徒党を組む必要性は薄れてきているように見えます。
経団連の変質の誕生だとも思えます。

しかし、それに今の財界トップといわれる方々は気づいてないのかもしれません。
経済界のトップにたちたい。いわば財界の総理になりたい。ためだけに、勲章制度を活用し、自らの企業だけの利益だけのためにと言わんばかりの活動やパフォーマンスが目につきます。
お国の為の働きかけ機関ではなくなってきています。

反論もされそうですが、経済成長中の日本の大企業にとっては、「自由主義的」な政策はプラスであったことは結果が物語っていますし、現代においても経団連がより少ない規制を求めて動いていることは否定しません。経済界にとっては利益を生む施策ですし、経済学的にも規制の少なさは成長率を押し上げると言われていますから。

しかし、近年の経団連や三団体や農業団体には、安易に国の政策に頼れば、(責任も転嫁すれば)何かと「楽」だという姿があるのは私だけではないと思います。

最近の例でみれば、原子力発電を擁護している理由が「国家が過去に強力に推進関与してきたから」といったり、関連業界からの利益があった東電を擁護したりするが、賠償金は「政府」の責任なのだから、国民への納税強制をするべきだと。言いたいことをいい、自らは逃げるというスタンスであり、施策は国のモノといわんばかりの言い方もしています。
インフラ輸出に関しても政策金融として官民一体を強調し低利融資をせまったり、あげれば近年はキリがないと思います。

こういう今であれば、経団連は旧来からの加盟企業の利益を代弁する団体にすぎないと認めているようなものです。世界が経済・社会のシフト変更をおこなっているなかで、新興企業の押し上げを認めず、旧来からの大企業の多くが低成長になって来る中で、一方では規制緩和などの必要な政策を主張はするが、矛盾ともいえる「いかに旧来からの既存の大企業、三団体所属企業が政府からおいしい蜜をもらえるか、既得権益をどう守っていくか」だけを主張している現状を打破しなくてはいけません。

今の大企業の方々や地方での有力企業は政治と同じで、二世三世の世襲が多いのも日本の特徴であり新興企業を認めてきていない実情です。
また当初は戦後復興期に様々な泥臭い経験をして、企業を大きく育て上げた経営者も多くいたでしょうが、今はそうではありません。その部分からみても薄く感じてしまいます。

経団連のいい点として、企業の陳情を経済団体が間に入って働きかけをしていることは評価できると思いますが、なぜ、若い企業人や、新興企業が表舞台にたてない組織なのかを疑問視したいのです。

審議会、研究会などをみても、新興企業で成功している方々は選ばれませんし、官僚や役人も財界にお伺いをたてて人を出しています。内容も平等的視点から議論するのが無いものは大小にかかわらず多すぎます。

私は、国際化している今、乗り遅れないためにも、リーダーシップをとるためにも日本という国に若くて気概がある経営者を多用するべきだと思います。
そういった人たちが既存組織に入り改革が出来ないのなら、新たな経済団体を作らせるべきで、政府も容認するべきです。政治にも同じことがいえますが、より時代にマッチした積極的な政策提言を行える日本にしなくては、地方始め何もかわりません。

役割の終焉を気づくか気付かないかで日本の政経が代わってくると思います。
そんなことを感じました。

                若狹 清史