雨の中山道を走っていると、「カエル」がたくさん道端にいます。
引かれているカエルがほとんどで、いつも「なんで道に出てきてしまうのか」思う反面、人間の勝手さで自然を破壊している証拠でもあると、考えさせられてしまいます。誰のものでもない、環境、自然、生物を大切に共存していかなくてはいけませんね。

「主導」

連日、政府のバッシング、最近では総理オンリーのバッシングに、「世界にアピールするチャンスだから挙国一致で乗り切ろう」とならない、島国日本の独特な「保守」にナショナリズムの無さを見て取れます。

霞が関の仲間いわく「管さんでは官僚は動かない」という言葉が、世代関係なく官僚が声をそろえているということだと言っていました。
なぜ、この時期に野党のようなことを官僚がいっているのか私にはわかりません。
官僚も自らの出世のために、「どの議員と繋がっていることがいいのか、どの政党と繋がっていることが得策か」を考える人も多くいるということも言っていました。

まさに政治主導ではなく、官僚の政治家化が主導権を握ってきているといってもいいと思います。そんな情報を打破できる政治家がいないから、国政が立ち往生し、地方は悲鳴をあげているのだと思います。

今回の震災に関する復旧復興に関しても、官民ともに復興利権の切符の奪い合いでしかありません。与野党間でも同じことをやっています。
大連立という話もでたり消えたりの繰り返しがいい例です。

政治家が本当に主導権を握り官僚のやりやすい環境を提供し連携を取りながら国の舵取りをするためにも、私は政党支配の歴史を見つめなおすことが必要だと思います。そのためにも、今の思想やアイデンティティの不統一性、またその無さを露呈させ、あたらな政治体制を確立するためにも、大連立を組み、やる気のある真のナショナリズムの確立に図った方がいいと思います。

そもそも、今の情報化社会で、マスコミが第四の権力化してきている時代だからこそ、大政翼賛会のような社会にはなり得ません。であるからこそ、世界にリーダーシップがとれる国として、国民も視野を大きくしていく必要性があると思うのです。その支えがナショナリズムだと思います。
今の日本は小さな利権を奪い合っているだけで満足している国にしか見えません。

こんな時だからこそ、政治体制を変えてしまう機会でもいいと思うのです。
既存体質にしがみついているのが「保守」ではありません。
本当に「動き、国を考え、腹がくくれる政治家」の集団を誕生させるべきです。
特に、若い世代の議員は、現状民主党であろうと、自民党であろうと公認を得られれば、どちらの政党でもいいという方も多くいます。
これからも、小選挙区制度の中ではこういった議員は多く生まれてくると想定できます。

もはや、かつての思想を引きずる野党や政党は小さな存在でしかないというのが議席でわかります。
複雑化しているこれからは、「各政策」で動く政治をとらなければいけません。
外交、内政をどうバランス良く考えられ、エネルギー政策、地方への権限の移行、日米間の距離のとりかた、農業政策、財政建て直しなどの要素を考えると、今の二大政党では違いを強引に生もうとしていて、議論が進まない状況があるのでは、政治は体をなしていないと思うのです。

歴史は大事ですが、その歴史が今を立ち往生させているのではあれば、結局はもう現代に適応していない思想ではだめなのです。どのような新しいビジョンを打ち出せるリーダーを誕生させるかなのです。
競争は、国家ビジョン間の競争、どのように日本の価値を高めるかの競争にはいってきています。

民間の多くは癒着をねらっていますので、かつての政・官・財が癒着した時代は徹底的に終わらせないといけません。その為の強いリーダーシップを求めていかなくてはいけません。

この難局ですら政治ゲームを繰り返す政治家を選出している国民一人ひとりが責任を感じ、政局を争う奪い合う競争から、どれだけ国民と政治、国民と国民の間に絆をつくり、喜びや痛みを分かちあえるような政治家を誕生させるかを考えなくてはいけません。
日本の経済の再建の道筋をつくることができるかの競争時代に、大きく政治の力学を変えなくてはいけません。

本当に政治主導にしていくならば・・・と、そう思います。

                           若狹 清史