気が付けば一か月ブログ更新がしてませんでした。すみません。
職人といわれる人が少なくなってきているといわれる昨今、若手で評価されている方もいます。
その方は「印鑑」の印章彫刻士の土屋武志さん(土屋印店:須坂市)です。全国大会でも金賞を受賞する方でもあるのに、こつこつ学ぶ精神は忘れずに、師を訪れ精進に励む姿はさすが「職人」です。
こういった方々との交流は刺激を受けます。こういう「粋」な生き方・・・勉強になります。

「区画」

最近、国際的な交流が多くあります。
色々な国々の方との話し合いは、有意義です。観光をメインとしているのではなく、日本や世界の現状を学びにきている学識の高い志のある外国人とは、余計にそう思います。

そんな中、よく議論になったり、質問をうけたりする中の一つに「領土問題」があります。

誤解も生まれるし、歴史感覚も違う中で話す話題は時として過激にもなりますが、そもそも「領土問題」とは何かを、確認していく必要があります。その部分を認識の違いで、スタートラインが変わります。
今回はそのそもそもを綴りたいと思います。

世界には数多くの領土問題が存在しています。では、いつ何を持ってこういった問題は起きてきたのかです。

そもそも土地争いは古来から存在しています。個人間の争いから、部族、国家間にまで至ります。国家間に関して言えば、戦争の勝敗によって所有が変わっています。
しかし、歴史をみていけば19世紀付近から領土問題はより感情的になってきていることがわかります。
それは、この頃に欧州をはじめとした「民族主義」が起こり広がってきたからです。

この民族主義とは
①我々地球上に住む人間は「民族」という単位に分類をする
②そしてその民族がそれぞれ集合体で独自の国家を持つべきである。これは「民族自決の原則」として位置付けられている。
③民族の個人は自らの所属する民族の発展の為に貢献をする。

上記が基本にあるということが、民族主義です。

また、この民族という定義は、「共通の祖先を持ち、運命を共有していると考える人たちの集団」になります。
ですので、我々は日本人、あなたは米国人、あなたはドイツ人などという民族単位がそれにあたります。あくまでもそこに所属する集団の思い込みレベルで決定しています。

容易に考えれば、同じ言語、同じ宗教であればそれに当てはまりますし、そう捉えているところも多くあります。

ですので、元来「~~人」がいたのではなく、近代項に出来上がったという表現が正しいということを我々も理解していくべきです。

日本人通しが「くにはどこですか?」と話していても「日本です。」とは答えません。「信濃の国です。」や「薩摩です。」と。これは明治以前の感覚の名残ですよね。当時は狭い範囲を「くに」と指していました。即ち、日本人とは明治以降に出来上がった「民族主義」であるとわかります。

ここに昨今の国に対する「思い」が生まれてくるのです。
民族主義は個人における最高の人生のまっとうの仕方として、自らの民族のために尽くすことにあることです。この考えに、心酔している人は、民族繁栄の為に命を投げ捨てでもその犠牲をいとわないとしますし、それが栄誉と評価されます。
また、この自民族の国家の為に尽くすという根底は、「領土の防衛」にあたります。

こういった概念が少なからず多くの国に存在しています。
この「領土」とは民族の発展を意味しているため神聖なるものの扱いとなりました。ですので、この気運が高まってくれば自然と、領土問題が発生すれば、両国での「妥協策」は成立しなくなります。ここに昨今の難しさが見て取れます。

かつてはそこに生活する大半の住民は、誰が支配者であるかよりも、生活の向上であるならば、その地を重んじてくれれば誰であろうと、以前と同じような生活をしていました。
しかし、昨今は、民族が自国の領土を失うことへの怒りと、失った領土に生活する人々が異民族に受け居られないという不安などもあいまって、母国復帰紛争や奪われないような対策からの紛争になったりなどの繰り返しをしています。

領土を奪っても消化ができない。この現状を歴史は物語ります。

上記をみていけば、民族主義は領土問題を誘発させ、またその解決を困難している。ということがわかります。

その問題の発端もまた、多岐にわたります。よく宗教問題と領土問題は同じだということを聞きますが、実際はそういう地域は少ないわけです。宗教観が違う民族通しが争っていても、その原因は宗教ではなく「インフラ」であったり「土地」であるからです。
パレスチナ問題などは代表的です。
実際には土地を誰が支配するのか。というところで宗教観が違う人たちが争っているにすぎません。

では、領土は大切ではないのか。と言われれば逆です。
国家を軸に進んでいる現在では、この領土の在り方はとても大切です。
経済的にみても、経済的価値によってその国の未来は変わります。また、それ以上に地球という規模でみれば、神聖な空間であるわけですから領土は大切です。

国家運営を主要としている2012年現在では、領土は農業、牧畜としての利用価値、観光としての経済還流としての価値、宗教的な地であれば巡礼者を呼び寄せられる価値、など経済的に見ても領土は必要視されます。また、海や川など水は生活用水としての価値もあり、地下には金や宝石のような鉱物が存在する可能性もある価値、そして、石油や天然ガスのようなエネルギー資源価値など、など、あげればキリがないほどの領土に関係する価値があります。

こういった領土問題に関するそもそもを理解したうえで、各民族の歴史を理解し、尊重しながら議論をしていかなければならないと思います。
ただでさえ、民族主義、植民地、戦争などの歴史的背景、民族間の感情、自然現象、テクノロジーの発展などが入り混じっている問題です。

このそもそもの「領土(域)問題」さえ、双方が理解してから、各民族間問題をいつ何を持って起こったのかを議論、対決していくべきだと、感じております。
ただただ感情的になっては何にもなりません。

少なくとも我々日本人は、そうでなくてはと思います。
そんなことを確認しながら、これからも他の国の方々と、「領土問題」に関しても議論をしていければと思います。

                          若狹 清史