皆さんラフティングをされたことありますか?この夏、私は機会があり、してみました。非常にアクティブに盛り上がりました。自然に囲まれながら癒され、またリフレッシュもされます。ぜひ、みなさんも一度。

「学」

最近、教育者の方々との集まりで様々な意見を交換しました。
純粋に教育を考えられ、世界を日本社会を子どもを未来を考えられている方も多いですが、そうではない人も多いと思いました。その立場は、現場の先生としての場合、組合(日教組)としての場合、一親としの場合で、意見や考えが違い、矛盾の場合が多いと感じました。

今回も日教組の立場で話されている先生方は、非常に教育学とは何かを問いたくなるくらい、疑問に思うことが多く感じました。

それは、何を話すにも、「上(権力)からの圧力」とか「下(民衆)から意見が通らない」とかいう言葉が散々出てきて、如何にも絶対的に「上から」が悪で、「下から」が善だという善悪史観が、はびこっており常にこの感覚・結論ありきで、議論はスタートします。それでいながら、「今こそ何々すべきだ」「教育者も労働者であり、人権もあるので色々主張すべきである」が頻繁に出てきました。結局、現実の分析をせずに希望や理念ばかりを述べているようにしか思えませんでした。

教育学をきちんと議論する場で、「仲間」の重要性や、「学び」の平和的意味の浸透とか「構え」とか、「愛」とか、一般的用語を並べて、賛同を得ようとしていました。はたして、これが教育学なのかと思いました。

また、「差別・選別教育反対」という理念もあるなかで、突如議論中も、一親として考えるならばという意見になり、「今長女の大学進学で二校で迷っている。とか、息子は中学進学なんだけど、長野の中高一貫か、東京に出すか・・・どちらがいいか」などと、欺瞞的な話が横行していて、教員の質、また教育学の質さえも、落としかねないなと感じます。

そして、道徳教育の反対。そして、歴史からの蓋をすることの推奨など・・・。
「道徳教育に蓋、子供たちの教育格差に蓋、朝鮮学校に蓋、日教組に蓋。宗教教育に蓋。愛国心や国家国旗などはもってのほか」
確かに、我々の世代でもこの部分は何か、議論することすら問題のような空気が子どもながらにあったと思います。

私は道徳教育は取り入れるべきだと感じます。しかし、この様な教育者が多いのであれば、地域の方々と、道徳教育を共に確立していかなければならないのかなと思います。

ただ、現在、感動させることや、人間として心に響くことは何かとか、弱者と定義されるる人たちへの思いやりなど、結果的に良い話を聞いて感動することがメインであり、もちろんそれは大切ですが、本来の道徳とは、社会道徳、法律やマナーは、家庭で教え、地域で教え、学校で教え、さらに「合理的かつ徳治主義的」な生き方を教育者が見せていくことだと思います。

教育者の先生方は、四六時中子どもを考え、未来を考え生きるべきではないでしょうか。それが重荷なら他の分野にいけばいい。という覚悟を持つべきであると思います。

今回も中には「正直、産休で休んで復帰したら子どもの顔も覚えてない」とか「できない子どものために尽力しても、無駄なので適当に万弁にやるのが無難」「自分の子どもにはいい知識だけを教えたい」「残業などやる必要がない」など、本音(?)もでていました。この認識が多くなる限り、教育の在り方が歪んでくるのは必須です。

教育とは何かを今一度、現場からまた組織から、行政から、地域から真剣に一人ひとりが考えなけばならない時期にあると思います。正直、今回の会議会合には、現実を見れた半面、日教組のやり方、現場教員の本音など、情けなくなる部分が見られ残念でした。

もちろん、中には真剣に教育を考え、こどもと向き合い生きられている先生もいました。私はそういった、生きた教育者の方々と今後も、考えていきたいと思いました。
                          若狭 清史