先日、私が理事長をさせていただいてるNPOで講演会を主催しました。医学博士の宮下智先生に第一回目としてご講演をしていただきました。詳細は後日、ブログにて記載させていただければと思いますが、「目的のための目標を立てていく」という言葉があり、私の中で大変惹かれました。一歩踏み出す勇気、それは向かうことも、寄り道することも一歩だと思いました。こういった経験が出会いを生み人を強くさせていくのかなと感じた講演でした。本当にありがとうございました。

次回は3月7日にサンルートにて二回目の講演会を主催します。ご興味のある方はぜひご参加ください。
二回目 3月7日 10:30~ ホテルサンルート長野
講師:義家 弘介 先生

「オリンピックの裏で」

昨日、バンクーバーオリンピックが閉会を迎えました。今回の五輪での日本選手団の評価や結果は連日メディアをにぎわせているとおりです。相変わらず、メディアはスポンサーに付いている競技のみを集中的に演出し報道し、メダルの期待をかけ、結果的にとれなかった時のフォローは、伝える側(自分自身)にしかしていない傾向にあります。

このオリンピック・・・世界中の国々があつまってスポーツを行います。祭典ともいわれています。その中で国をあげて勝負を競いあい、喜怒哀楽をもたらしています。
一見、平和の祭典であり、世界中が注目しているかのように見えますが、その裏で米軍によるアフガニスタン掃討が始まっている事実を忘れてはいけません。北京オリンピックの際は、ロシアーグルジアが開戦を始めた歴史があります。

オリンピック=平和の祭典という表の面を世界中が注目することで、その裏にある現実がどこか置き去りにされています。まして、この報道は日本ではほとんどといっていいほど報じられていません。
専門チャンネルは別として、一般的視聴者がみる報道では見る機会はなかったと記憶します。

また、日本のメディアは、相変わらずメダル期待のオンパレードのスタイルをしています。国家を背負って旅立つ選手たちにどれだけの、愛国心があるのかを問うことはせず、ただ結果だけ残せばいいという報道では問題であり、かといって、服装の乱れた選手が現れればここぞとばかりに、日本の文化を重んじ、面白おかしく報道する。このスタイルを続けていても、選手育成にうまく繋がるとは思えない私がいます。その場だけ、オリンピックの時だけ、メディアが報道する時だけ、注目するようなスポーツであってはならないと思います。
そして、米軍によるアフガニスタンでのタリバン掃討作戦が開始されたことですが、オリンピックの熱狂報道の中に、紛争の存在はいつしか忘れ去られていきました。
 
平和の祭典の意義は、多くの国が1つの都市に終結し、同じスポーツでその優劣を競いあいながらも、人間として国家間を超えた交流の意味があるはずです。

アテネオリンピックでは38度線を挟んでいがみ合ってきた韓国と北朝鮮が合同で行進した事実がありました。北京オリンピックでは当日に紛争が勃発したロシアとグルジアの選手が抱きあう光景が見られました。あの時は、対国ではなく、一個人として平和をアピールしたのだと思います。

きちんとしたルールの下に、各国がフェアに競い合う光景は、平和的です。
しかし現実では、オリンピックを隠れ蓑として、その裏で国際社会に悪印象を植え付けないようにして、戦争をしようとしている人たちが存在するように思えてなりません。
また、オリンピック自体、その時だけ「ナショナリズムを喚起してしまっている」という事実も見逃してはいけません。

うがった見方をすれば、オリンピックも平和の祭典で争いごとをしているわけです。本来ある「平和」とは目指さなければならない理想像であり、「平和」にしなければ、と祈れば叶うことでもありません。

これをきちんと伝えていかなくてはならないのが、メディアの存在だと私は思います。オリンピックでメディアが盛り上がるのは仕方ないかも知れません。広告収入のために、企業スポンサーがついた選手ばかりを大々的に応援するのも仕方ない現状なのでしょう。しかし、メディア自身がオリンピックの陰に戦争を隠してしまうのであれば、果たしてメディアがメディアであるべき価値はあるのかと思います。

そういったことを考えながら、閉会式をみて感じたことでした。
                        
若狹 清史