先週は義家先生の講演を主催させいただきました。
教育とは何か、今後抱える問題意識を共有させていただいた機会になりました。ありがとうございます。また後日感想など記載させていただきます。

「経験」

先週のブログで、宮下智先生の講演をご紹介させていただきましたが、今回はその宮下先生のご紹介など感じたことを記載せさせていだければと思います。

宮下智先生とは、三年の付き合いに私はなります。お世話になっている健康運動士の有賀さんという方を通じてご紹介を頂いたのがきっかけです。人と人とのつながりは、みなさん日々感じていることだと思いますが、一期一会で終わっていく繋がりもあります。そんな中でも、こうやって惹かれあって(宮下先生が私に魅力を感じているかはわかりせんが(笑))今もお付き合いをさせていただいていることは、やはり通じ合うモノがあるんだと思います。

私は宮下先生の人柄を含めた「生き方」がすごく好きです。先生の生き方を少ししたいと思います。

地元長野市出身で、吉田高校時代に「自分のやりたいことを高校時代を思い出すと特に夢は無かったように思います。ただ何かの目標を掲げなくてはいけないという風潮があったので、漠然と大学野球がやりたいと言っていたような気がします。」と思われていたそうです。

しかし、お父さんが病気(1リットルの涙で紹介された脊髄小脳変性症)で入院されたのをきっかけに理学療法士という仕事に興味をもたれ、当時、専門学校しかなかった理学療法士養成校へ進学し、国家資格取得されたと言います。その後、リハビリテーションの専門病院で働かれていたときに、理学療法養成校の校長先生から「後輩を指導してみないか?」と誘いを受け、母校へ教員として赴任されたそうです。

その時に、教育のことなど全くわからずに先生になってしまったので、真の理学療法士を育成するのに、これではいけない。また他の分野の先生たちはどんな教育をしているのか、興味をもたれ、昼間は教団に立ちながら、夜は大学に通い教育学を学ばれたそうです。そして、徐々に教育学に興味を持ち、中学、高校、養護学校の教員免許を取得し、大学院修士課程に進学し、卒業をされました。

そのあと、東京大学医学部研究室に進まれ研究に入り、昭和大学医学部でも学ばれしていたときに、助教授として大学で勤務しないかと、二度目の「誘い」があり山形県に行かれたそうです。そこで医学博士の学位を取得され、その後は専門学校の副校長や、病院の副院長、オーストラリアの大学の特別教授、これからは大学の教授として進まれていっている先生です。

先生の経歴はすばらしいものだということはご理解いただけますが、その時々での「ターニングポイント」で「誘い」というものをきちんと成功におさめている点と、最初の高校時代に抱いた想いを実現するんだという気持ちだと思います。

人と人との出会いを無駄にされることなく今日を迎えられている先生の話を聞いていて、武者ぶるいといいますか私もやらなくてはという思いにいつもさせていただいています。

先生はカリフォルニアにもいた経験もおありで、私も一人アメリカに乗り込んでいった者として、非常に共感できるものがあり、すごく惹かれています。

講演でも出席者と「健康の大切さ」を動作を使いながらお話を頂きあきさせないものであり、その中で若者への気持ちの持ち方をきっちりとアドバイスしていただけることは、自らが経験してきていることなので、言葉に重みを感じました。

目標だけでなく、その上の目的をもって何事も進むことが大切だと言われていたことばが、色々考えさせられました。一歩踏み出す気持ちの大切さ、それは例え寄り道になってもかまない勇気、それがきちんと経験となり自らの人生形成に繋がるというアドバイスを忘れずに私も進んでいかなくてはならないと思いました。

引き続き、様々なところで私も宮下先生の講演など含めた交流をご提案させていただきたいと思っておりますので、みなさんもその折にはぜひとも、ご参加ください。何かを変えるきっかけになるかもしれません。
そんな宮下先生のご紹介と、感想として今回のブログとさせていただきます。
                     若狹 清史