都心は桜の開花宣言がだされ春にむけて加速中ですね。もう3月も終盤。人が人へと受け継いでいく時代、人生、毎日です。後悔しないモラルある日々を送りたいですね。
「向き合い」
長野市では市民会館、庁舎建て替えの議論が未だ続いています。
一市民として、様々な視点からみていくと、まだまだ議論する余地ある案件だなと感じています。
確かに、耐震補強だけで防げる問題なのかはわかりませんし、かといって街づくりと連携しながらの市民会館建て替えの意義がやや不透明にも見えます。
第一、 市民の皆さんに対する説明が不十分にも見えます。
私の持論ですが、現代の市民感情からすると、市民の皆さんの意見を集約していくのは正直不可能に近いのがこういった案件だと思います。
であるからして、地元代表の議員の方に、「想い」を伝えていき、議会であり委員会で議論を繰り広げるのだと思います。
ですから、一概に市民の声を集約していないという声には反対です。
しかし、かといって、市民の知らないところで、「白紙」に戻すといった問題が気づけば、ちゃくちゃくと進められていたことに反発が起こるのも、当然の話しで今後の全ての案件に不審さが募ることは致しかたありません。
また、市民一人一人がどこまでこの問題に興味があるかも問題です。
メディアや一部市民は盛り上がっていますが、そうでない市民は、真剣に考えている人はどれだけいるのか、わかりません。
本当に市民の声を集約した結果を求めるなら住民投票をしたらいいのです。
地元議員の影響力の見せどころでもありますが、本当に必要と考えるならば当然力も入るし、勉強もするでしょう。
私は、なぜ、必要なのかを真剣に市民も考える必要があると思います。
と、いいますのも、先日この問題で市民の方々から
「自分のこどもが市民会館のステージでコーラスをやっているのをみて、感激し、これ
からも大事なコーラス人生を見届けるためにも無くさないでほしい」
「人気ミュージシャンが長野市で見られるのが嬉しいから、反対なんて言わないでほし
い」
「近くに芸術性高い市民会館があれば毎日近所の集いができて、外にでるお年寄りがふえるから、なくさないでほしい」
「子どもたちのために市民会館が必要」
はたまた
「耐震補強だけで十分だ」
「市民会館なんて使わないからいらない」
「市民会館に金回すなら、自治協に金をくれ」
「ただ既存保守議員と市長が推進しているから反対」
など、沢山の意見を聞きました。
が、私はどの意見も、しっくりこないといいますか、みなさん「自分」のことだけだなという気持ちになりました。
本気で耳を傾けたくなるような説得力のある積極的な議論ができないのは、建て替えに関して、長野市における効果、すなわち市繁栄が市民繁栄につながるという「真剣」な感覚が弱いと思うのです。
市民一人一人のいのちと暮らしを守ることが政治なら、そうなるべく共に考えるのが、地域だと思います。効率的にできる税金も真剣に考え活用しなければむなしく浪費されるだけで終わります。
財政危機な街では「赤字を減らす」か「税収を増やす」かしかないのです。
その『現実』を知る必要もあるのです。
政治家は人気者でも芸能人でもありません。
市民のみなさんのいのちと暮らしを守るのが政治です。
各議員同士、また市長理事者がかばい合い守り合うのが仕事ではありません。
また、市民も自分中心で他人任せで、最後は文句を言うでは何も変わりません。
この最後は哲学的な窮地に達するのがもどかしい最近ですが、「住民の質以上の政治家は生まれない」とよく言われますが、まさに市民一人ひとりがいかに、「真剣」に政治に対し、生きている街に対し、向き合えるだと感じます。
市民会館の問題、庁舎の問題、ゴミの問題、共に賛成、反対者が多くいます。
反対のための反対ではなく、賛成のための賛成でもなく、各々の利権でもなく、今、長野市には何が必要で、どうやっていくのかを市民が真剣に向き合っていかなければならないのかなと感じています。そのうえでの、結論に従うのが「未来ある長野市」の第一歩のように感じます。
そんなことを感じた今回でした。
若狹 清史