更新が遅くなり大変すみません。
4月に入り、各地をまわらさせていただいていますが、各地域に埋もれている「核」を見過ごさずに運営している地域がにぎわっているなと感じました。
今日から長野は開花宣言が出され、花見をゆっくりして、今は「心」に癒しを求めたい時期です。

「平等がどこまで必要なのか・・・」

先日、都内で政策を創っている方々との集まりに呼ばれ、会合をもってきました。

私が、政策実施過程からの市民の参画が今後必要という考えがあるので、その部分の意見交換でした。私は、市民の皆さんが如何に行政の成り立ちと市民の国家への参画意識をもち、学ぶことが大切だと思います。
今回は、専門家の方々との集いでしたが、どうしても効率と公平の違いで議論になります。これは、経済学者や政治家との感覚の違いでもよくみられます。その効率と公平についての意見です。

今回の例では、「小人口の地方に高速道路を建設するのは非効率だという事が市民参画することでどう変わるのか」。これは経済的思考の方の意見でしたが、政治思考の方は「日本に住んでいて日本人なのに地方だけ高速を使えないのは不公平だと意見が市民参画からは絶対に多くなる」となります。政策的論理からすれば、後者は意見としては、成り立っていないですが、政治的に意見は間違いなく通りやすいです。

後者のような感覚、すなわち「平等」を好む感情は、日本に限らずほとんどの世界でみられます。この感覚は人間だけなのかもしれません。(類人猿の実験では平等に分配する能力はないと言われています)しかし、人間の子供は、5歳までは利己的に行動する感覚があると言われており、この平等意識は社会的に形成されていると言えます。

この、平等への意識が過剰になっているのは、昨今の社会では、所得格差が拡大しているからであると思います。その原因はITとグローバル化と言われています。しかし、世界の格差ほど、日本の格差は、それほどないと思います。

なぜなのか・・・です。私も政策作成をさせていただいている中で、感じていることですが、結局は年功序列などによって賃金が能力や努力に比例しないためと考える人が多すぎるからだと思います。その能力や努力に対する過剰評価を自らしている場合が多いとも感じます。
しかし、労働市場が硬直的している日本だからこそ、他国と比べると影響は少ないと感じます。しかし「不公平感」は強いのが日本です。

私は、「効率と公平」は、論理的には分離が可能です。今回私の考えとして述べたのは、経済的思考の、効率的な状態は所得配分から一意的に決まり、どの所得配分が公平なのかを決める方法は存在しないという考え方が、正しいとは思いません。
なぜならば、労働のインセンティブが失われていけば、効率的な資源配分は実現しないからです。しかし、社会の富が国家君主に独占される社会も望ましくありません。

要はその中間のどこかにあるものを探せばいいのですが、そういう「最適分配」を決めることはできません。
色々考えますと公平の問題は、非常に難しいですが、効率の問題は比較的やさしいです。

現実社会に当てはめれば、労働市場をゆがめる施策を遂行すれば失業者を出し、非効率で不公平な政策になります。また有害無益な政策を支持する団体があるとすれば、政治的決着も早くなるが、それが悪なら阻止するべく有権者が学び賢くなる必要があります。
それには、市民の知識向上をしながら、参画していくことが大事になると私はいつも感じています。

いつも、外需の不足「公共事業」で行いますが、ばらまきになればそれが批判の的になります。しかし、もとから、反論している市民はどれほどのいるのかはわかりません。

なんでもそうですが、結果を否定する市民の多さが、まさに不効率に私は感じます。それを不公平とうたう社会では今後は変わりません。
それには、我々一人ひとりが社会の成り立ちを理解し、学び参画し、国家像をきちんと創造していくことが大切に思います。今の日本は平和です。平和ボケしない社会になるためにも、効率ある公平さを学びたいと思う今回でした。
                    若狹 清史