先日お花見の場所で路上駐車が多いという意見を聞き、見ましたが非常に多くびっくりしました。取り締まりもあまりはかどっていなく・・・。そんな中、一台だけ違反切符を切られていました。その若者は感情をあらわにしていましたが・・・違反は違反です。しかし、取り締まり方にもやや見せしめ感もあったなと感じました。かくにも、みなさんもご注意ください。
「向き合う」
夜回りをしていて知り合った若者が更生し、都心の大学に進学をし、新たなスタートを切っています。その彼は両親の反対を押し切って、自らの行きたい大学を選択しました。
その決断をするときの話し合いに、私も同席しました。
母親は猛反発をし、「今まで何のために育ててきたのか?親の教育下にあるのだから、親の指定した大学にいきなさい」と詰め寄っていました。私も様々な経緯からその席にいましたが、常軌を逸しているようにみえました。
私も、強く反論し、彼の「人としての道」を選択させ、それを見守り、意見を交わすのはいいと思いましたが、断固拒否というスタイルに私は疑問が生じていました。
結果、彼は家族と離れるのを覚悟で、自らの選択した道を進みだしています。母親はすでに、息子を絶対に許さないという概念にかられています。
この現状がいいのか、悪いのか。
様々な意見はあるにしろ、私は、教育をきちんと見つめなおし、再生という言葉を使うならば、そうしていかなければならないと感じています。教育とは何かということです。
私は、若者には、心できちんとぶつかっていくことがどれほど、大切か。だと思っています。
大人の勝手なわがままを押し付けることが正しいのか、若者の勝手な振る舞いや意見を見ない振りしていることが、正しいのか。
時には喧嘩してでも、向き合って、心から話をしないと進まないと改めて思っています。
先日も、「政治やりたいなら票を取りまとめる活動をしたほうがいいよ。教育や若者は票を取るためのパフォーマンスで考えないと、票はとれないよ。若者は選挙にいかないから」と、それなりのお立場がある方々から言われました。
私は、非常に情けない大人ばかりだなと思います。
一理はあるでしょう。しかし、私にはその感覚はありません。
あったら、夜回りなんてしないでしょうし、彼らの心と向き合って時間を割くこともしないでしょう。
そこに、若者がいるから、向きあうんです。それが、日本を担い、社会に活きてくるという感覚がもてないのでしょうか・・・。
心から、それを伝えたいですね。
初心というもの、謙虚さというものを絶対に忘れることなく進むことが、若者をそんな大人にさせないものだと、信じています。
何があっても、未来のために、その未来をになう若者のために、本気で向き合って、ぶつかりあうことが、大切であると感じています。
そんな、親であり、家族であり、地域であり、社会であり、人でありたいと思っています。
こんな想いでこれからも活動させていただきます。
若狭 清史