お世話になっていた方が亡くなり、2年がたちますが、一度の人生をどのような物差しで考えるかで生活感が変わります。ただの棒なのか、立体的な玉なのか、鈍角や鋭角なのか・・・。一歩前を出す気持ちを見失わずに感謝をしながら生きたいと思います。
「責務」
先日、地域福祉の活動として、関係者の方や地域の方との会話の中で、小中学校への携帯電話の話がでました。
県の教育委員会の見解は、携帯の持ち込みを禁止し、携帯の使い方を指導するという形を示されています。
私の個人的所見として、学校内へ携帯を持ち込むことは非常に問題であると思います。
学校で必要なのかどうかです。海外の学校教育機関のシステムであれば、個人の自己責任をうったえれますが、日本では必ず問題が起きれば、責任のなすりつけ合いになります。
また、県も指導をするとなったときに、どの様な理由で指導しているのか不透明です。
この携帯電話では、登下校の安全から始まり、性的犯罪の回避、不審者への警戒など、様々な対応も考えられます。しかし、私は、いつもここで、親御さんはじめ、学校関係者、また生徒にも伝えていますが、犯罪防止と言いますが、犯罪を起こしている人は、親や地域、教員に過去、どの様な教育を受けてきたかを考えたときに、過保護であったり放任であったり以前に、まず、心の面の教育の弱さがあるのだと思いますし。昔も今も同じことが言えますが、今は携帯へ責任と転換しているだけだと思います。
まさに、そういう人を警戒している社会こそがそのような人たちを生み出しているといってもいいと私は思います。夜回りをしていても、同じことが言えます。
危険な人を回避しても、その回避され守られていた方が、糸がきれ、同じことをしていることもあり、悪循環に思います。
よく、私も子供や親御さんに聞きますが、なぜ携帯を持たせているのかという理由です。本質的な意見は見えてきません。周りのみんなもっているから、また犯罪防止ということの一辺倒です。
本質的には、なぜ子供に携帯を持たせなければならない状況なのかということです。またその状況はだれが生んでいるのか・・・。我々国民一人一人であると私は思います。
人のせいではすみません。悪循環を求めていても、先にも進みません。
子供の本質的な面での安全をキープし、社会を信じていける姿勢を日頃より示していくことが、歪んだ人を後輩しなくてすむのではないかと思います。
マスコミが騒ぐ目の前一面のことだけにとらわれず、親の責任、子供の自己意識、地域の支え合いをどれだけ理解していけるかです。
うちの子に限って大丈夫という言葉はいつの時代も叫ばれます。
しかし、どんなに苦境な状況でも、どれだけ切ない環境でも必死で生きている家族もいます。そこで養うハングリー精神を身につけながら、思いやりと覚悟を教えていくことが大切であり、大人の責務であります。
携帯電話で心が通っているという発想の見直しも大人が提言していく必要があると感じています。
技術の進行と心の進行のバランスを同じに考えずにいくことが、求められてくると思います。それが地域福祉であり教育の原点に感じます。
若狭 清史