先日、上海の復旦大学の沈先生と久しぶりにお会いし、国際情勢について話し合いをしました。
研修にきていた学生たちは、凛々しく優秀でした。彼らも志があり、自国の発展を望んでいるようでしたが、自国に変えれば、その志は達成できないという体制。もったいないなと思いました。個人としての友好をどんどんしていくことが、外交発展の近道に思います。
「貧困とシステム」
欧米と日本との国際力の差を考えていた時にプレゼン力の違いがあると思います。
今回はそういうシステムの構築とその裏で見える貧困層の現状などを綴ってみたいと思います。
国際化してきている昨今では、国境を越えて政治経済はじめビジネスなどの場で必要視されているのが、人前で喋る力、つまりプレゼン力が各国、各人に大きな影響を及ぼします。
どんなに知識があっても、技術力があっても、コミュニケーション能力が使いこなせず、プレゼン力がない場合は、相手にされないのです。日本の外交がいい例のように思います。
実際、欧米ではそういったプレゼン力を育成することが現在求められています。
それは、相手の考え方に影響を与え、最後には賛同者へと変えさせるための説得力であったり、根回しであったりをすることで、人もお金も集まり、還流していくということで、あらゆる繁栄につながるので、優秀な人材の育成・集約に力をいれているようです。
こういった考えがリーダーを生み、またその中からのリーダーが誕生するというシステム構築を欧米社会の価値観として養成しています。
日本は、黙々と自分の背中を見せることで、「生き方」をプレゼンするという意識があります。私はこの考えはすごく好きですし、実践していますが、世界を一歩出たらそれは通用しません。海外へ出たら、そういった国内価値観を封印し、自分の主張を明確にしていくようにしています。
世界の名門大学が求めている人材は、歴史や数学、文学などが優秀なだけではなく、自己主張を経験的かつ理論的に打ち出せる人材を求めています。それが、何よりも大切な技能だという評価もしています。
そういった人材育成が、花形職種である弁護士事務所や技術研究員、コンサルティング事務所、学者、政治家輩出と大きく社会に影響力をだしていく結果となっているようです。
そのもとになるのが、プレゼン力になり、全てのコアになるということなのです。
では、その大学に入るまでの育成として何が行われているかですが、よく米国で見受けられるのが、「疑似裁判」です。
中学校でも見受けられますが、高校のある程度の場所では課外活動の一環として、取り入れられています。米国では課外活動の評価がすごくその後の進学に左右されます。
上記でも述べましたが、自己主張を経験的かつ理論的に打ち出せる人材を求められている以上、自らを磨かなくてはなりません。中学校では、ボランティア活動、演劇活動、高校では、疑似裁判のような流れが多いようです。
さて、疑似裁判ですが、各高校同士が集まり、実際の裁判所を使用し、現職の裁判官が議事進行を務めます。
実際の判例を少し変えて、学生たちに有罪無罪を議論させます。この時に、事前に自らが証拠として集めてきたことや、他国の判例などをだし、相手に対して臨機応変に対抗していかなくてはいけません。時には証言者をだし、どのポイントで「泣く演技」を依頼し、賛同者の同情を引く演出をしたり、本格的な裁判のようかの議論をしていきます。
これらは、学生自ら台本なしでアイディアをだし、自ら歩いて情報収集し、いかに相手を落とすかを学んでいます。
こういった大会なども存在し、彼らはどんどんそういった力を育っていくわけです。
これが、ゆくゆくのエリートの誕生の礎となっている点は、我々日本も見習わなければなりません。と同時に、メディアリテラシーの養力をつけなければ、簡単に流されてしまう結果になってしまい、偏ってしまいますが・・・。
上記で述べてきたのは、欧米の現実であり、世界をリードしていくために必要な教育となっています。
しかし、その裏で、まったく該当しない子供たちもいます。
それは、貧困層の激しいエリアの子供たちです。
人種、移民問題、シングル問題だけに限らず、不景気によるリストラ、賃金カットなどによる貧困層の家庭は、いくら上記のようになれる可能性がある子供がいたとしても、進学ができないというもっと前の問題が立ちはだかっているのもまた事実です。同時に景気後退で失業率8%の米国では、所得格差が著しく貧困層の所得を直撃しています。
先日も米国における「教育における裕福層と貧困層の格差が拡大」という記事がNYタイムスを飾っていました。
プレゼン力養成が可能な「中流の上」以上の家庭は子供に沢山お金を注ぎ込むし、沢山の時間を子供と過ごそうとしています。また、親のPTA活動も活発で影響力もあります。
しかし、貧困層はそうはいきません。
その裏には授業料の高さも指摘されています。
奨学金制度の申請書作成のレベルの高さも異常ですし、専門家に頼まなければ難しく、彼らを頼むお金もない。という悪循環。
また、疑似裁判するにしても、演劇するにしても費用は実費ですから、貧困層の子供たちは参加できなくなります。故に名門大学級が求める人材には当てはまらない。という現実。
また、私がいたロサンゼルスのサウスセントラルやイングルウッド、ワッツ地区はそういった問題以前の超貧困層なので、治安という別問題という問題もまた存在しています。
こう見てきますと、あらゆる人たちがいる欧米が、あらゆる分野で多面的に意見ができるのもわかりますし、プレゼン力に対する国家あげてのシステム構築の成果も見て取れます。
しかし、その裏で貧困層に「可能性」を見出せる施策面が不充分ということもわかります。
こういった面を日本も大いに学んでいくべきだと思います。
日本の東大に通っている学生の親の平均年収は1000万円を超えています。学問重視の富裕層優遇施策が今後の日本が明るくなるのか、それとも、欧米からヒントを学び、中高校からプレゼン力をつかせるためにも、経験的かつ論理的に意見が言える活動を行政が補填しながら学ばせ、その経験を大学側、また企業側にも学問と同等以上の評価を求める覚悟をもってもらうことが、あらゆる子供たちの可能性を見出せるのではとも思います。あらゆる問題もでてきますが、世界を見たときに考えると必要なのではと思います。
そういった養成こそがあらゆる分野で、【日本のプレゼン力と、ひたすら黙々背中で「生き方」をみせる姿】で、ゆくゆくの日本の外交でのリーダーシップにも繋がると考えます。
そんなことを考え、また訴えていきたいと思った今回でした。
若狹 清史