若い世代と年配の世代とでは社会、地域に対しての考え方の違いがあると感じるときがありますが、腹をわって酒を飲み交わし会話することでそれが埋められることが多いと感じます。日々勉強の姿勢を崩さずにいきたいと思います。
「格差」
政権が変わり、様々なところで「どこどこ政権がいけなかった」「あの総理がいけない」「地方重視」など様々な声がでています。またそれが、おもしろおかしく伝えられています。
今回の自民党総裁選でも、河野太郎氏以外の候補は「小泉改革が昨今の地方経済疲弊や格差を生んだ」というスタイルを通し、争点が見えました。
しかし、ここにきて「地方」を重視しているのはなぜなのか?国会議員票より多い地方票を意識してのことかもしれません。
私は、各党や各政治家が、従来通りの地方に補助金をばらまくことだけが、「地方の重視」にはならないのではと思います。
色々な調査研究しても、地域間の格差が拡大したのは、小泉政権が原因ではありません。
そもそも戦後から、地方から都市への人口流入は、一貫して続いています。90年代に地方の公共事業増加によって、その流れは一時的に戻りましたが、その後小泉政権が公共事業を減らしたため元に戻りました。これによって地方の建設業が苦しくなったことは事実でしょうが、必要なものだけではない公共事業をいつまでも続けることは不可能であり、これは従来続いている長期トレンドに戻っただけだと、思います。
確かに、人口は都市集中へと流れました。しかし、これを悪だといい続ける施策ではもうどうにもなりません。
格差が問題なのは地方や地域ではなく、個々の問題です。
自由が認められている以上、村や地域が寂れてくれば、移動します。生きていくために雇用のある都市に移動します。簡単な見方をすれば人口減で困るのは役場だけです。
米国でも英国でもそうでしたが、主要な都市には都市間での境界を決めています。
日本にはありません。東京からどこまで郊外に行っても、切れ目なく住宅が続きます。これは大規模な戦争を経験しなかったためと分析されています。
城壁としての都市という発想がなく、田畑の上にそのまま家を建て、スプロール的に都市化したためです。
これは、全体的にインフラ整備が必要になり、公共的な投資率が悪いと思います。
過去の産業構造から考えても、農業や製造業から集約的な都市型の産業に労働人口が移るのは当たり前です。日本の成長率を高め続けるためには、知的労働者を都市に集中させないと国際的な都市間競争には勝てません。
これからは、過疎化した市町村は合併し、行政サービスは道州のような大きな単位に集約したほうが本当のサービスを受けられると思うのです。
もしくは、合併はせずに農村地区は農村地区として各地区経済成長率に合わせた地域運営に切り替えるなどしかないのではないかと思います。しかし後者は個々の格差に響きます。
もちろん、都市化は、日本の伝統文化やコミュニティが崩壊してしまうといわれる方も多いと思いますが、戦後60年以上たち、日本の総人口の90%以上は入れ替わり、国土自体もすっかり変革されました。
実際に、日本の伝統といわれているのは、国宝や文化財を除けば、明治以降にできた習慣が非常に多いということがわかりました。
それを守っていくことは大切です。しかし、後者のものに今現在の段階で国家が補助金を出すことは、違うのかなと思います。もっとその伝統が受け継がれた段階で本当の伝統になり、それを守っていけばいいと思うのです。
フリードエフ・ハイエク氏も触れていますが、近代伝統とは多くの場合、既得権の温床にすぎないということです。都市化によってそれが失われることを恐れている地方ではだめです。
やはり、今後は高度化するインフラ整備はコンパクト・シティ化し、過疎地は自然や文化財を保存していくことが求められます。そういった意味で、それぞれの地域が個性をもって競争するために、地域間「格差」は必要に思うのです。
そんなことを考えながら、地域と都市とのあり方を学んでいきたいと感じた今回でした。
若狭 清史